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第166話
顔をあげると、そこには息を切らせた馨の姿。
馨…助けに来てくれたんだ…。
僕は馨に手を伸ばして…そして、馨は僕の手を振り払った。
「馨…?」
馨は僕のことを見下ろしている。蔑んだ目に僕は怯む。
「馨、どうして…?」
「玲、どうして…?」
馨は顔を歪めて吐き捨てた。
「どうして僕を裏切った?」
「馨っ!違うっ」
僕は馨に誤解されていることに気付いて声を上げる。
「違うんだ!聞いて、馨っ…!」
僕は馨に駆け寄ろうとするけれど、なぜか身体が動かない。
いつの間にか視界は真っ暗で身体も床に横たわっている。
(この匂いは…畳…?)
何かが僕の身体を押さえつけ、畳に縫い付けている。
「待って…馨…っ」
馨が遠のく気配がする。
すぐにでも追いかけたいけれど、畳みに爪を立てるくらいしかできない。
嫌だ…、馨…。
『もういいだろう?』
心の中で僕が言う。
『お前は誰かに愛される資格の無い人間だ』
――そう…なの…?
『ああ。お前はそれを望んではいけない。だって、お前は…』
――嫌だ、そんなこと思い出したくない…っ
******
夢を見ていた。
もう何度見たか分からない夢。
夢の中で後姿を追いかける、彼が逃げていくのか、僕が動けないのか、でも一瞬確かにその細い手首をしっかりと握った手の感触……すり抜けたその感触すら愛おしい。
鼻先をかすめる、ほんのかすかな汗の匂い。それすらも、甘く感じる。
馴染んだはずのその香り…思い出せない。
『玲君』
耳に馴染んだその声に僕は溺れる。
******
馨サイド
南雲圭史に呼び出されたのは、玲が打ち合わせに行ったのとは別のホテルだった。
そこの最上階に玲はいた。
「玲…?」
俺の呼びかけに玲は顔をあげる。けれど、僕を見ているようで見ていない、そんな表情に俺は南雲の胸倉を掴む。
「玲に何をした…」
「だから言っただろう、愛とやらじゃ玲は救えないと」
「何…?」
「………あいつは、自分で自分を傷つけていた」
「は?」
南雲さんは、玲の服に手をかける。そして、そこに現れた真新しいそれに俺は目を疑う。
「な…それ…」
「言っておくが、俺じゃないし幸人でもない。あいつは、玲に無理はさせても傷はつけない主義だから」
そう言えば、夜はいつも暗い中でしていたと思い出す。それは玲が言い出したことで、そこに特別な意味は感じていなかった。今思うと傷を俺に見せないためだったのかもしれない。
「でも、玲は、全然そんな風には…」
うぬぼれかもしれないが、玲は俺との生活に安らぎを覚えてくれていたはずだ。でも、それは玲の演技だったってことなのか…?
「玲のこれは癖みたいなもんだ」
「癖…?」
その言葉に俺は一気に南雲さんへの疑惑が募った。
「他に古傷も無いですよね?」
やっぱりこれは玲によるものではないのではないか。そういう意味での揺さぶりをかけたつもりだったが、南雲さんは何でもないように答える。
「俺たちがさせなかったからな。肉欲に溺れていれば少なくともそっちにはいかないんだよ。その前は、そんなことできるような環境じゃなかったし、あったとしても痕なんか残させなかっただろうさ」
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