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第167話
非難するような口ぶりに唇を噛む。
「なら、なんで…」
「ん?」
「……どうして、それが分かっていて…」
その先を言ってしまうのは、悔しい。
「………俺もどこかで期待してたのかもな」
玲を見つめる南雲さんの瞳に、俺は思わず視線を逸らす。
何となく察してしまったから。目の前の男も同じ道を辿ったんだろうってことを。
「俺は…、玲を傷つけたんですね」
前に言っていた、俺は理解者にはなり得ない、そんな言葉を思い出す。
自らを投げ出し他人の玩具になる、そんなのおかしい。助けたい、愛を、望むものをあげて過去の何かから解放したい。俺のそんな考えは、間違っていたのか・・・?
「分かっただろう、これで」
いつの間にか視線は真っ直ぐこちらに。
「…………俺…」
思い人に目をやるけど、決心がつかない。
「お前には無理か」
「……」
「ひどいことはできませんって?」
「…………っ、いくら玲のためだって、ペットや玩具として扱うなんてやっぱりそんなこと…」
「間違ってる、か」
「……」
何も言えないでいると、がっと肩を掴まれ、そして…
「っ…」
いくらか後退すると、背中を打ち付けたのは壁。押さえつける力に抗う気力もない。途中でサイドテーブルを倒したので結構な音がしたはずだが、玲は座った体勢のまま反応した様子もない。
視線を逸らしたのが気に入らなかったのか、無理やり顎を掴まれ強制的にそちらを向かされる。
「新谷君、できないって言うなら手伝ってやるよ」
「なに…」
「調教」
「……は…」
思いもよらない言葉に動けないでいると、別の部屋からがちゃりと扉が開く音。
「君がその気になるように手伝ってやるって言ってるんだよ」
入って来たのは、的場幸人。姿が見えないから南雲さん一人かと思っていたけど、どうやら違ったらしい。
その手に持っているものを見て思わず後退るも、南雲さんの腕が壁についたことで逃げ場を失う。
「まずは、同じ所まで堕ちようか」
「や…やめ…」
無理やり逃げ出そうとする。でも、
「じゃあ、このままさよならする?」
「…っ」
反応がない玲の頬を卑猥なもので撫でながら愛おしそうに笑う姿に、俺の足は動かない。
俺がこのまま去ったら、きっと玲とはもう会えない。そんな予感がするから…。
昔、一度だけ重なり合った人とあなたはどこか似ている。
きっと助けます、だから俺は、あなたのそばに…。
******
『玲君』
まただ。僕を呼ぶ声。ねっとりと耳にこびりついた低い揺らぎのないもの。
身寄りの無くなった僕を引き取って育ててくれたおじさん。
勉強もさせてくれたし、欲しいものは何でも与えてくれた。
いつだったろう、僕の名前を呼んでいるのに、違う誰かを見ている昏い目に気付いてしまったのは。
夜の行為は、日常を繋ぎとめる行為で、それでもよかったのに、僕は望んでしまった、僕を見て欲しいって。
悩んで、逃げ出して、街へ出て、行く当てもなく彷徨っていたところで偶然の出会い。僕と同じくらい、いや、少し年下だったろうか。
ウィークリーマンションを借りているという彼は雨に打たれた僕をしばらく置いてくれた、訳も聞かずに。お互いに名乗ることもせず、淡々と時間だけが過ぎていく、そんな生活は時間としては短かったかもしれないけれど、ずっとそうしてきたかのようなそんな不思議な時間がそこにはあったと思う。
最後の夜、初めて身体を重ねて、そして朝には家を出た、いつものように。
彼と重なり合って、心を通い合わせて、もう一度色々なことに向き合う覚悟ができたというか、おじさんとの関係ももう一度やり直せるんじゃないかなんて、そんな希望を感じていたんだと思う。
僕が家出をしたことについて何も言わず、笑顔で迎え入れてくれて、ああ、やり直せるんだってそんな風に感じていた…、それが間違いだとは知らずに。
今にして思うと、家出によって決定的に壊れてしまった何かがあったのだろう。誰かと関係を持ったことに気付いたらしい、傷ついた顔をした翌日から、吹っ切れたように僕を抱くようになって。当てつけのように、憎しみをぶつけるようにでもそれでも僕を見ていなかったころよりは、負の感情でも僕を見てくれていると思うと僕は幸せだなんて、それでまた昔のような日々が来るならいい、そんな風な日々が続いて…、蝋燭の炎が消えるように逝ってしまった後は、何も考えることができなくて、夜眠ることができなくなった。
何かを求めているのだけど、それが何か分からないような不安な夜が続いて、そこから掬い上げてくれたのは圭史さんと幸人さんの二人。二人と出会ってからは幸せだったけれど、僕はまた逃げ出してしまった、甘やかされるほどに不安が募っていくみたいだったから。
一人で生きていくために就職もして、後輩も出来て、それから夢を二回見た、家出の最終日の夢。日曜日の夜に、白檀の香りが印象的なその夢を見ると、一瞬でも重なり合った彼のことを思う。もう二度と会うことはできないだろう、あの時は気付かなかったけれど、僕は彼が好きだった…、大切な思い出。その事実に気付いたのは遅かったかもしれないけれど、気付けたから僕はこれから生きていける、そんな風に思っていたのだけれど…。
『玲君』
また、おじさんが僕を呼んでいる。行かなくちゃ。長い廊下を歩いて、一番奥の暗い部屋。誰も来ない、夜の檻。
『玲君』
襖越しに僕を呼ぶ声。僕はいつものように引き手に手をかけて、でも躊躇う。
「玲」
おじさんのものとは違う、僕を呼ぶ声が聞こえた気がしたから。声のした方向へ顔を向けようとして、でも、
『玲君』
ああ、おじさんが呼んでいる。目を閉じて、耳も塞がなきゃ。だって僕はおじさんのものだから。
真っ暗で何も聞こえない。襖は開いた、遮るものは何もない。このまま進んでおじさんの元へ…。足を進めようとして、でも後ろから何かがさらりと僕を撫でた。馴染んだものが広がるのを感じて足が止まる、何だっけ…、この薫り…。
「――」
何かが聞こえて、聞こえない。でも、なぜか涙が出てくる。
「――」
何度も、何度も呼んでいる。ずっと、ずっと…、それは暗いところから聞こえてくる声よりもずっと大きい。
待って、行かないで…、
後ろ姿を追いかける、彼が逃げていくのか、僕が動けないのか、心の中で声をあげながら、何度も見た、そうだ、夢、夜、すり抜けていく、まだ幼さの残る細い腕、すり抜ける、待って、白檀の香り、そこに混じるほんのかすかな汗の匂い、この匂いは
馨…、馨――っ!!!
途端、五感に膨大な情報が飛び込んできて、世界が鮮やかに生まれ変わっていく――
「……」
ここは…? どこか部屋の中みたいだ。身体を動かそうとするも、僅かに震えただけで終わり、仕方なく視線だけが彷徨う。大きな窓から外の景色が見え、随分高い場所にいるなと思う。ビル、建物、道路、木々…少しだけ桃色がかったエリアが目に入ったところで、
「…玲?」
後ろから聞こえた声に、首を後ろに動かそうとして、それよりも視界に声の主が現れるのが先で、
「……馨…」
後ろから僕を抱きしめていた大好きな人の名前を僕は呼ぶ。夢の中で感じた薫りはやっぱり馨のものだったみたい。
「玲? 俺が分かる?」
「馨…、△年くらい前、○○マンション…」
僕の言葉に、馨は目を丸くする。その反応に、やっぱりあの時の彼は馨だって確信して、馨の方も僕だったって気づいてなかったみたいだってことを知る。
「玲っ?!」
奥の部屋から圭史さんと幸人さんが飛び込んでくる。
「まじか、おい玲っ!」
「玲?!…お前」
「幸人さん、圭史さん…」
どうしてそんなに驚いているのか分からないけれど、二人がとっても嬉しそうで、僕もつられて笑って、そんな僕を三人が抱きしめていてくれて、僕は心配かけたことを泣いて謝った。
******
幸人さん所有のホテル、最上階の窓から望める満開の桜並木に、新しい季節の訪れを教えてもらう。
僕の意識が曖昧だったとき、圭史さんと幸人さんは以前のように、肉欲に訴えかけてじらして傷つけて溺れさせて堕ちるところまで堕としたうえで意識を完全に支配しようとしていたみたい。でも今回やり方を変えたのは、どういうわけか僕の反応が以前と少し違っていたかららしい。
「まさか、王子様が初恋の相手だったとはね」
今にして思うと、白檀の香りが好きだったのは出会った頃にすでにつけていた馨のコロンの薫りだったからなのかもしれない。
「玲に酷いことするの辛かったからさぁ、ほんとよかったよ」
「は? 何言ってるんですか。嬉々としてやってたように見えましたけど」
「王子君は酷いな。まあ、俺は君と遊ぶのは楽しいけど」
「な…あなたって人は…」
「なあ、玲? 慰めて~」
「あ、えっと…」
抱き着いてくる幸人さんにどこまで本気なのか読めない相変わらずなつかみどころの無さにどうしていいのか分からない。
「玲、顔色良さそうだな」
圭史さんの言葉に肩越しに頷くと僅かに目を細める。眠れなかった理由、圭史さんはよく知っていて、というのも、生前のおじさんを知っている数少ない人の一人だからで、といっても僕を引き取った頃には既に疎遠だったみたいだけど。そのツテで、おじさんのこと改めて調べてもらって、分かったことがあったりして。おじさんはもうあの暗い部屋にはいなくて、明るい場所で本当に好きだった人と一緒に幸せに暮らしてるんだって、そんな風に思うんだ。
今の僕には馨がいるし、それに、幸人さんに圭史さんも…。
「あぅっ…!」
胸に走った快感に背中がのけぞる。
「ぁ…やぁ…っ…」
いつの間にか服の中に入ってきていた手。
こりこりと指の腹で尖りを捏ねられてもどかしい。
「南雲さんっ!」
「ん~、なになに? 王子君も混ざる?」
「そういうことを言っているのでは…」
「はうっ…」
敏感になったところをぎゅっと強くつねられて甘い声が出てしまう。
「っ…」
「あらぁ、相変わらず王子は可愛いね。反応が初心で」
「そ、んなことは…」
「顔真っ赤だよ~」
茶化すような言葉に圭史さんが馨の顎に手をかける。
「期待してるのか?」
「ちがっ…」
僕は慌てて声を上げる。
「圭史さんっ!馨に意地悪しないで…」
「玲はこう言ってるが?」
圭史さんの手が馨のものにかかり、そこが固くなっていることに初めて気づく。
「どうなんだ、王子」
「っ…これ、は…」
「圭史さ…っ」
僕は馨が可哀想で圭史さんに声をあげて、でも、
「これは、れ、玲が、煽るから…」
「え…」
その言葉に思考が停止。
「あー、玲のエロスにやられちゃったか」
「玲、お前も罪な男だな。三人も虜にしちまって。どうしてくれるんだ?」
「な…」
反論しようとして、でも圭史さんが近づいて来て僕の唇を塞ぐからそれも叶わない。
「やっ…ふぅっ…」
巧みな舌の動きがいいところばかりを擦っていくので、段々と力が抜けていく。おまけに幸人さんも乳首を弄るのを再開するから、僕の身体はたまらず開いていく。
「ぁ…ふぁ…」
「ほら、王子君。突っ立ってないでお姫様を気持ちよくさせてあげなよ」
よく分からない頭で馨の方を見て、ばちりと視線が合う。すると、熱を持った視線とぶつかってずぐんと奥が熱くなる。
「…馨」
「玲…」
「来て?」
欲望のまま、心が望むままに腰を揺らして誘う。喉仏が上下するのを確認すると、二匹の獣がにたりと笑った。
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