6 / 58

第6話

  2016年1月1日、元日。 「「明けましておめでとうございます」」 「「本年もよろしくお願いします」」   判で押したような変わり映えのしない新年の挨拶が   あちこちで交わされている。   が、倫太朗達医療従事者は新年でもお正月気分で   浮かれている暇はない。   倫太朗は年末に離職した同僚の代わりで急遽、   今日から救急救命室=ERへ転属になった。   平成16年度から必修化された新しい臨床研修の   方式『スーパーローテート』で、昨年4月から   巡回し始めここでつごう3つ目の診療科となる。      朝の8時半診療開始、   既にお昼までで**件の救急をこなしてきた――。   初詣客の雑踏でお年寄りが転倒し、   手や足を軽く捻挫してしまったというケースが   3件。   乳幼児の誤飲が3件。   急性盲腸炎(アッペ)の手術が1件。   凍結した路面で滑って転び、単純骨折が1件。   残りは全て、正月で浮かれ過ぎた人々の   急性アルコール中毒症だった。   今までの患者さん達は幸い大事には至らず、   帰路は皆さん自力で帰って行かれた。   何でもない、当たり前の日常風景のように   思えるけど。   時には俺ら医師の力及ばず、物言わぬ人型となって   帰路に着かれる方々もいる。   ―― そんなERへ異動してちょうど1週間が   経ったある日。   東の空がゆっくりと白み始めている午前*時。   院の通用口で。   黒塗り・ロングボディー・スモークドグラスの車を   ERのスタッフ及び手すきのヘルプスタッフ達が   深々と頭を下げ見送る。   車が走り去った後、院内へ戻る時も皆は   終始無言だ。   ERの主任(チーフ)ドクター、各務大吾 ――   何と! あの鬼束柊二の長兄 ―― が、   手近のナースへ訊ねた。 「―― 倫はどうした?」 「あぁ、彼ならまだトイレから出てこられないみたい  です」 「ったくぅ、情けねぇ奴っちゃな」 「もう、大吾センセってば、そんな事言っちゃ可哀想  ですよ」 「ちょっくら行って、活、入れてくっか」  *****  *****   初めて直面した訳じゃないのに、   搬送患者の死に激しく動揺し、   我を見失ってしまった。   患者は臨月の妊婦さんで ――   搬送中の救急車内で何度も心肺停止状態に   陥っており。   病院到着と同時にお腹の胎児の死亡が確認され、   それから約1時間後、母親もまるで眠るように   息を引き取った。   心ならずも、あの妊婦さんの姿に10年前の   千早姉ちゃんをW(ダブ)らせてしまった。   あの時、赤ちゃんの生命は救えなかったものの、   基礎体力の差で姉ちゃん自身は一命を取り留めた。   あの時、処置に当たった主任医師の伯父に   姉ちゃんがぶつけた言葉が、今さら蘇る――。   『医者の癖に赤ちゃんの生命すら助けられ    なかったの?! 信じてたのに……っ。    私の赤ちゃん返してよっ! 返してぇぇっ』   姉ちゃんの慟哭は何時止むともなく、   静かな病院内に響いていた……。   もうそろそろ皆んな、お見送りから戻ってくる。   それに、もうすぐ日勤チームへの業務引き継ぎも   あるから、自分もさっさと戻らなきゃいけない……。   けど、そう焦れば焦るほど。   足はまるで鉛がついたみたいに重くなって。   吐いて、吐いて……思いっきり吐いて、   もう、胃の中の胃液まで全部空っぽって   思える位に吐いて。   大方すっきりした後、   口をゆすぎ顔を洗っている所へ   大吾先生が入って来た。 「あ、チーフ、ご迷惑おかけしました」 「―― ん、顔色は戻ったな。  今日のカンファレンスは出なくていいから  早う帰って休め」 「自分ならもう大丈夫です」 「夜勤明けでも真っ直ぐ帰れるなんて滅多にねぇんだぞ  人の厚意は受けられる時に受けておけ」   と、先生は個室へ入って行った。 「……じゃ、お言葉に甘えてお先に失礼します」 『あぁ、おつかれさん』

ともだちにシェアしよう!