27 / 58

第27話

  3日前、病院総務へ有給休暇願いを提出し倫太朗は   自分の部屋へは戻らず、   何時間も行く宛もなく街を彷徨い歩いた挙句、   ほとんど衝動的に最寄りの駅から飛び乗った電車を   何本か乗り継いで、とある小さな漁港の町に   降り立った。   そこは、倫太朗が星蘭大に受かった記念にと柊二が   連れて来てくれた荒瀬海岸。   地図でも、虫眼鏡がなければ見つけられないような、   こじんまりとした海岸だ。   1日目の夜は、親切な駅員さんが勧めてくれた   民宿に泊まった。   人の生命(いのち)を預かる仕事上、   倫太朗達医師はプライベートな休暇中であっても   緊急の呼び出しには即応じられるよう、   居場所の申告も義務付けられていた。   が、今回倫太朗のこの行動はあくまでも衝動的   なものだったので、当然倫太朗がここにいる事を   知る人間はいない……。   次の日も ――    また、次の日も結局、朝から1日堤防に座って海を眺め   気が付けばまた1日が終わり。   また次の日も、夜明け前に堤防へ出た ――。   風はちょっと強いけど暖かい……初めて柊二と   来た時と同じだ。   この漠然とした不安も、あの時抱えていたのと同じ。   ちょっと優しくされたくらいでいい気になって、   ほんのちょっとでも ”もしかしたら ――”    なんて淡い期待を持ったのだとしたら、   非常な現実を突きつけられる前に、そんな幻想など   さっさとドブへでも捨ててしまえ!   柊二は今現在在籍している中堅医師の中では   大吾チーフの次に准教授に近い人材と目されている   優秀な医師だ。   もし本当に教授のお嬢さんとの縁談が本決りに   なったのだとしたら、自分は潔く身を引くべき   なんだ。 『―― 倫ちゃ~ん……倫ちゃ~ん ……』   その声に”?”と、顔を向けると。   一昨夜からお世話になっている民宿の   経営者ご夫妻の娘・祐子がこちらへ走ってきた。   よく見れば、手にはスマホをしっかり持っている。 「充電したまんまで忘れていったでしょ」   別に忘れて行った訳ではなく、   持っていれば里心が芽生え誰かの(特に柊二の)   声が聞きたくなると思って、   わざと置いて来たのだ。 「あ、わざわざ持って来てくれたのー?   ありがと、祐ちゃん」 「たろーのバカが間違って電源入れちゃったけど」   その、言葉には倫太朗も少し動じたが。   つとめて平静を装う。 「あ、ヘーキヘーキ、ちょうど入れなきゃって思ってた  ところやし」   と、何の気なしに見た着信履歴は柊二とあつしの   ものばかり。しかも、数分置きにかかっていた。   (!! 柊二……あつしぃ……) 「じゃ、私は戻るね。あ、父ちゃんが今夜は倫ちゃんの  為にご馳走用意したから、陽が暮れたら早く帰って  来いってさ」 「うん、ありがと」   若々しい足取りで戻って行く祐子を見送って、   もう1度スマホのディスプレイに目を戻すと ――   着信音がヴァイブレーションと共に電話の   着信を知らせた。   発信者表示は、柊二。 ***  ***  ***   一方その頃、柊二は何度もリダイヤルで   発信し続けても、応じる気のなさそうな倫太朗に   苛立ちながら、セダンで高速をひた走っていた。   それが倫太朗自身の意思でなかったにせよ、   3日前から入れられる事のなかった倫太朗の   スマホの電源が入った事で、   そのGPS機能を使い鬼束はやっと倫太朗の   居場所を確定する事が出来た。   **町まで約**キロ ―― という、道路標示が   頭上を過ぎて行った。   柊二は、もう1度ダメもとで倫太朗へ発信した。   トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、   トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル …………   やっぱりダメか……と、諦め切ろうとした時 ――   カチャ、   倫太朗がやっと応じた! 「もしもし、りんっ、お前突然姿くらますなんて  何考えてんだよ。今、そっちに向かってっから  絶対逃げんじゃねぇーぞ」 『えっ ――』 「ハハハ――ま、仮に逃げたとしても、  オレは地の果てまでも追い詰めて、  逃がす気ぃなんぞ更々ねぇーけどな」 『……な、なんで、俺、なんかの、ために……』   倫太朗の掠れた声に柊二は表情を曇らせた。 「それ、知りたいんだったら、ちゃんとそこで  待ってろよ」   グスンと鼻を啜る音がして倫太朗は泣いていた   んじゃないかと思った。 「……それとも……もう、オレには会いたくねぇ?」   柊二の問いにしばらく倫太朗の答えはなかった。   しかし急かすことなく柊二は黙って携帯を強く   握りしめた。 『……あ……いたい』 「すぐ行く!」   柊二はグイッとアクセルを踏み込み一気にスピードを   アップした。   もうすでに切れたスマホを握りしめたまま   倫太朗は固まっていた。   ”……どないしよ、柊二が来る”   ハッ!と我に返って自分の姿を思い出し、   宿へ取って返して洗面所に飛び込んだ。   鏡に映る腫れ上がった瞼にため息をつく。   ”とりあえずこの顔をなんとかせんと!”   バシャッバシャッと冷たい水で顔を洗い、   女将さん ―― 祐ちゃんのお母さんにもらった   保冷剤で瞼を冷やした。   ”あぁ! 早よせんと来ちゃう!”   シャワーは無理。でも着替える?   いや部屋の掃除が先?   うろちょろ、右往左往 ――――   祐子とその弟・太朗も、   目をまん丸に見開いて見守る中、   バタバタ部屋と洗面所の間を無駄に   往復していると、   ガラ ガラ ガラ ――、   表玄関の扉が開いた音がして、   それに続いて男の(柊二の)声が ――。 『御免下さ~い』   ”だるまさんがころんだ!”   倫太朗はその場でピタリと動きを止めた。     「は~い」   応対には女将さんが出たようだ。   玄関先で短い挨拶を交わし、   2階の倫太朗が泊まっている部屋へ柊二を   案内していく。   本当に柊二は来てくれた、けど……。   やっぱり、好きになっちゃダメだったのに……っ。   今になってそんな風に考えていると、   まるでその胸中を見透かしたように女将が言った。 「コラッ。何、今になってグダグダイジケてるのよ。  こんな寂れた所までわざわざ迎えに来て  くれたんだよ。自分が惚れた男を信じられないで  どうするんだい?! 」 「女将さん……」 「そ。母ちゃんの言う通りだよ倫ちゃん。  思い切って彼の胸へ飛び込んじゃえ」 「祐ちゃん……」 「ホラ、シャキッとして! シャキッと」   太朗が倫太朗に活を入れ、   その手を引いて部屋へと導く。 「あ、タロくん……」 「―― じゃ、後はしっかりね」   と、太朗が立ち去った後も倫太朗は部屋の襖の前で   どうするべきか?   踏ん切りがつけられないで立ち竦んでいると――。   先に、部屋の中から襖は開かれた。 「!! しゅ…………」   柊二は言葉を交わすよりも、   部屋の中から倫太朗の腕を掴み   自分の方へ引き寄せながら倫太朗を室内へと誘った。   そして、やっと3日ぶりに最愛の恋人を手中に収め、   ほぅ~っと安堵の吐息を漏らした。 「しゅ、じ……」 「オレに黙っていなくなるな……お前の居所が  分からなくなって、オレは頭の中が真っ白になった。  お前の行きそうな所を手当たり次第に探しまくって、  結局最後はここしかないって……携帯のGPSで  お前の居場所を掴めた時はホッとして腰が抜け  そうになったよ……」   倫太朗はこうして再び愛おしい柊二に   抱き締められている事が嬉しすぎて、   言葉も継げない。 「とりあえず、お前の気がかりからなくして  おこうか?」 「??……」 「……教授のお嬢様との縁談ははっきり断った」   ”えっ!!”と、倫太朗は柊二から身を離して   その顔を凝視した。 「そんな事したら……」   藤代主任教授の派閥は附属病院内では最大の物で。   もちろん病院内外への影響力も大きく。   過去、教授のご機嫌を損ねとんでもない僻地へ   飛ばされたという、医局員の実しやかな噂を   倫太朗も何度か聞いた事があった。 「なぁに、どうせ1度は無医村地区への赴任も  覚悟したんだ。今さら、どう転んだって大した  変わりはねぇさ……だけどよ、りんたろ?」 「……なに?」 「もしもの時、お前はついてきてくれるか?」 「……地の果てまでも追い詰めて、逃がす気ぃなんぞ  更々ねぇーけど、なぁんて言うてたんは、ハッタリ  やったの?」 「りん……」 「……大好き、柊二」   告白の、返事の代わりは熱い、熱い口付けで。   2人は、離れていた数日間の隙間を埋めるように、   激しく互いを求め合った。

ともだちにシェアしよう!