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第1話 赤い目

その目は赤かった。 血に飢えていた。 瞳の表面に俺を映した。 俺の足は地面に釘を打たれたかたのように動かなかった。 その目が、その牙が怖かった。 その口が、俺を襲おうとした男の首筋に貼り付く。 しっとりと、ゆっくり。 俺は開いた口を、開ききった目を閉じることが出来なかった。 気を失った男の首元にそいつの顔はあった。 俺はその声を知らなかった。 【赤い目】 「うぁ…!?」 乱れる呼吸、揺れる肩、全身は冷や汗が滴る。 ベットの上で、ちゃんと枕に頭をのせたまま、なかなか寝相のいい俺は天井を仰ぐ。 枕元にあるアナログ時計はまだ4時を指している。 あぁ、またあいつが出てきた。 悪い夢ってどころじゃない。まるで寝ている間にホラー映画をみるような物に等しい。 夢を見るのは結構好きだったりする。 夢に好きな人が出てきた日の朝なんて最高なもんだ。 でも、逆に言えば、嫌いな奴が出てきた日の朝は最悪そのもの。 特にあの夜の得体の知れない怪物が夢に出てくれば、もう会社にも行きたくなくなる。 というのも、あの怪物、所謂吸血鬼とやらが出たのは会社帰りの家路の途中。 まだ今年入社したばかりの俺は、会社から家までの道の途中で、ある事件に巻き込まれたのだ。 怪談風に物語ると、あの夜は新月で辺りは暗かった。 街灯の少ない暗い道では月灯りの存在は大きいものである。 そんな夜道、俺の家路途中で、前から現れた数人の男。 ふらふら、笑い声をあげてこちらへ歩いてくるものの、俺は彼らが酔っているとでも思っていた。 だから、彼らとはただ、夜道ですれ違ったというだけの存在になるはずだったのだ。 だけど、それは間違いだった。 ------ ----- 「痛っ…!」 絶対わざとだと分かるくらいに足下を掬われて、熱の冷めたアスファルトに倒れこむ。 鞄は手から離れ、まだ新しいスーツには血が滲んだ。 「あ、ごめんごめーん。」 ゴロゴロとした地面に手を付いて立ち上がろうとしたところを後ろにいた見知らぬ誰かに背中を踏みつけられる。 ダサい姿。多分ぴったりの表現。 でも、格好なんて気にしてられない。 「う"ッ…」 前髪を誰かに掴まれて、背中を踏まれたまま顔を上げさせられる。 嫌でも目に入るその男の顔。 多分大学生くらいだろう。俺と同じくらいか、年上。 俺は短大を出てすぐに就職したから、四年制大学の生徒より二年早く社会人になった。 彼らが四年制大学生の三回生なら、俺が頭の悪い、社会的に低い身分というのを実感させられる最悪の瞬間にも思えた。 「あ、若ーい。もしかして社会人なりたての新人サラリーマンってやつ?」 俺の前髪を掴んで推測ばっちりなことを言う男はケラケラと笑っている。 酔っているようには思えない。 俺は今まさにカツアゲとやらに遭っているのかもしれない。 いや、暴行されて気が済んだら開放されるって感じかも。 「お兄さん、財布ちょーだい」 俺の頭は何故かやけに回らなかった。仕事が終わって疲れた身体のせいかもしれない。 その男の声は耳に入ってきたものの、頭で処理されずに抜けていったのかもしれない。 無意識にぼっーとする視線を送っていると、その男はムカつくような笑みで「ねえ、聞いてんのー?」と言った。 「聞いてません。」 「はァ?」 その時の俺はなぜそんな癇に障るを言ったのか。というより、本気で俺は馬鹿か。 眉をひそめて顔を歪めた男は俺の頭を掴むのを止めて脇腹に一蹴り入れた。 もちろん痛みに顔を歪め、咳込む俺。 そして、男は「嘗めんなよ」と言って俺の手から離れた鞄に気づいた。 この際俺は金や鞄はどうでもよかった。 まだクレジットカードさえ持っていなかったから、財布くらい取られてもよかったんだ。 金や貴重品を取られれば俺は開放されると思っていた。 だから、うつ伏せのまま無言でただ鞄を漁られるのを見ていたのに… 「っけー、こいつ全然金無えし…ッうぐ!」 目の前から消えた男。 突然その怪物は現れたんだ。 財布を持ったまま横に突き飛ばされた男は、衝撃が強かったのか意識を失った。 回りにいた、ついでに俺も含めて、ここにいた皆がその一瞬で何が起きたのか分からなかった。 「今……」 そう声を発した隣に立っていた男も俺が見た瞬間にはそこに立ってはいなかった。 「な、な、何なんだッ…!」 背中を踏んでいた男も同じく、その斜め後ろにいた男も、立ち上がった俺が見た頃にはすでに意識を飛ばして倒れていた。 次は俺の番だ。 そう思うと足が竦んで動けなかった。 まるで足の甲に釘を打たれたかたのように。 俺の足と地面は引っ付いてしまったように動かなかった。 その男はやはり次に俺を見た。 視線が絡み合うよに離せなくなり、釘付けになった、恐怖で。 「……ぁ…」 声が出なくて『助けて』とも叫べない。 もちろん視線を外すことさえ出来ない。 その目は赤かった。血のように深く真っ赤な赤。 吸い込まれそうなほど、闇に溶けゆく赤。 そして、そいつは動いた。 倒れた男の一人の片手をつかみ上げた。 骨でも折る気なのか、そう冷や汗を流しながら見ていると、その腕に噛み付いた。 何をしているかなんて正直考えなかった。 俺はただ、ただ、その光景を他人事のように眺めていたのだ。 恐怖が俺を現実から逃がしてくれたのだ。 しかし、ほんの数秒後、俺はまたこの世界に戻ることになる。 口元からその腕が離れた瞬間だ。 「え…嘘だろ……」 今度は全身から血の気が引いた。背筋に悪寒が走る。 というのも、一人の男の腕に噛み付いた男は怪物だったからだ。 口の周りを真っ赤にして、牙を剥き出しにし、そしてその牙にも赤い血がついていた。 しかも牙に着いたその赤い血を目に見えるくらい美味しそうに舐めとったのだ。 それはまさしく『吸血鬼』だ。 神話と言われていた本の世界の住人とまさかこんな夜に出逢うなんて。 俺は恐怖で笑いがこみ上げてきた。 何が可笑しいのか分からない。 けれど笑わずにはいられなかった。 その怪物は半袖から出た白い肌の腕で口を拭うと再びこちらを見た。 今度こそ俺もやばい。 身の危険を感じた俺は数センチずつでも後ずさった。 逃げなければ。 頭の中で警鐘が鳴り響いている。 その赤い目は俺から視線を外さなかった。 しかし、俺は今度こそ動けと身体に命じて背中を向けてその家路を急いだ。 絡まるような足取りで必死で逃げ続けた。 ------ --------- あれから振り返った時にはもうその男は影も形もなかった。 息が上がって、血の気が引いていた俺はふらふらで、数十メートル先の玄関が遠く感じた。 そうだ、あの夜からどれくらい経ったんだろうか。多分三日くらいだろうか。 あの倒れちゃった男の人たちはどうしちゃったんだろ。 もしかして死んじゃったりしてないよね…? 特にあの噛まれてた人なんて… 「あぁ…起きよう。」 目を瞑っても、あの夜のことしか思い出せない俺は怖くなって、まだ外は暗い明朝、ベッドから起き上がった。 「柳沢、大丈夫か?」 あぁ、またその会話するんですか? あ、ちなみに俺は柳沢 誠(ヤナギサワ マコト)です。社会人一年目の新人です。 それにしてもこの三日間同僚や先輩から言われる言葉、それは「顔色が悪い」という心配の言葉だった。 その言葉に俺は「あんまり眠れてなくて」という言葉だけを返す。 周りは俺が仕事からのストレスだどうのこうの噂をしている。 噂されるほど顔色が悪いのか。 確かに仕事は大変で、社会人とは厳しいものだと痛感している。 けれども、そっちのダメージより、三日前のあの夜のことの方が数倍もダメージはある。 ああいうものがこの世にいると知ってしまった。そして、それが俺を捉えていたのが恐怖で仕方ないんだ。 いつかまた遭遇する。 そして今度は逃がしてはくれない。 そんな予感がして毎日辺りが暗くなるのを恐れているんだ。 こんな話、誰にも相談出来ないからこうしてストレスになっているのかもしれないが、誰かにこの話をするという前に、こんな馬鹿げた話、誰が聞くっていうんだ。 とりあえずもくもくと仕事をやるものの、暗くなり始めてくると俺は帰宅が嫌になる。 正直仕事は嫌いだけど、多くの人と一緒にいることは今は安心する。 それに仕事に集中していると、自然とあの男のことを忘れられるのだから。 しかし、やっぱり恐怖の帰宅時間は時間が流れ続ける限りは来るものだ。 「お先失礼します」 上司に礼儀正しくお辞儀をして会社を出る。 to be continued.

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