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第21-3話
今までの。
今までの態度はじゃあ何だったんだ。
嘘だったのか?
「あなたは優しくすると、すぐに尻尾を振って飛びついてくる。それを蹴り飛ばして、絶望に歪む顔が見たかった」
がちがちと歯が音をたてている。寒い。凍えそうだ。
俺はまんまと騙されたのだ。
滑稽じゃないか。
人に愛される事を諦めたなんて言いながら、期待してたんだ。
笑いがこみ上げてきた。
同じように吐き気もこみ上げてくる。
首を絞められるよりもずっと痛くて苦しい。
「あなたの事なんて、一生好きになりません」
世界から、音が消えた気がした。
ハルキは勢いよく立ち上がると、キッチンに走っていき、ケイの買ってきた包丁を手に取った。思い切り頸動脈を切り裂こうと目を閉じた瞬間、ケイがハルキの手を掴む。ぎりぎりと力をこめられて、手から包丁が滑り落ちた。
カランカランと金属のぶつかる音がする。
荒い呼吸を繰り返し、震える手を見ていたハルキは、いつまでも両腕を握り締めるケイを見上げた。
声が出ない。
ケイは眉間にしわを寄せて、唇を噛んだ。
掴んでいたハルキの腕を引っ張り上げ、顔を寄せる。荒い息のまま、まだ声が出せないハルキは驚いたように目を見開いた。
「あああ、もう。その表情がたまらない」
ケイは頬を上気させ、目を細めて口を歪ませる。
「あなたがあまりにもそそる表情をするので、我慢するのが大変でした」
唇を押しあてられ、ハルキは軽く呻いた。
沸騰する頭と、凍り付いた体。
深く深く口づけられ、雷に打たれたように体が痺れた。
震える両手を掴まれたまま、なすすべもなく立ちつくす。
ようやく唇を離され、お互いの吐息がもれる。ハルキは呼吸の仕方を忘れたように、喉を引きつらせた。
「触れる度に喜んで、手を払いのける度に傷ついて、震えるあなたの表情はかわいくてしかたがなかった」
耳元でケイの声が響く。ぞわぞわと背筋があわだった。
ハルキの頭をかき抱いて、何度も何度も撫でまわす。
「ああ。かわいい。かわいい。かわいい。誰にも渡したくない」
ケイは理解が追い付かないハルキを力強く抱きしめる。匂いをかぐように、髪に顔をうずめた。
「え……え……?」
ようやく出た声は戸惑いを含むが言葉にならない。
「う、嘘……?」
形を成した言葉はあまりにも間が抜けていた。
体を離し、ケイがハルキを見下ろす。
「妹の事は嘘ではありませんよ。だからあなたに近づいたんです。こんなにかわいいとは思ってもいませんでしたが」
ケイはそっとハルキの額に口づけた。
「あなたのせいじゃない」
その言葉にハルキは恐る恐るケイを見上げる。
「死ななければならないような事を、あなたはしていませんよ」
優しい、笑顔。
「あなたの父と私の母がクズだっただけです」
顔を歪めて吐き捨てるように言うと、また笑顔に戻った。
「でも、先程の表情は素敵でした。私の言葉で、思わず死を選んでしまうほど絶望した顔なんて、めったに見られないですからね」
いつまでもにこにこと穏やかな笑顔のケイを見上げたハルキの目から、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちた。
「……好きにならないって……」
嘘なのか。と、口からでた言葉はみっともなくかすれていた。
何も言わずに微笑んでいるだけのケイに、ハルキは縋り付くようにシャツの胸元を握り締める。うぐっと泣き声が漏れそうになって、息を止めた。
涙と鼻水をたらして、それでも必死に泣き声を漏らすまいと歯を食いしばっているハルキを、ケイはそっと抱き寄せる。背中を優しくたたかれると、ハルキは肩を震わせてケイの胸に顔を押し当てた。
「あんまり泣いていると、もっといじめたくなります」
ぞくりと背筋を震わせて、ハルキは息をつめた。両のこぶしを握り締めて耐えていると、ぐちゃぐちゃになった頭と酸欠のせいで、くらりと視界が揺れた。
ケイが少し体を離して、顔を上げたハルキの頬をそっと両手で包む。
「もう一度、あなたが死ぬほど絶望する顔を見てみたい」
ハルキはぞっと背筋を凍らせ、ひゅっと息を吸い込むと、かたかたと震えだした。顔面は蒼白で、怯えた目を見開いている。
「そういうところがかわいいんですよ」
ケイは微笑みながら、頬に触れた手に、ぎりぎりと力をこめた。
「もう二度と、他の誰にもそんな表情を見せないでください」
まるで獲物を見つけた動物のように、いつもは闇をたたえている瞳をギラリと光らせた。今にも舌なめずりしそうだ。
「あなたを傷つけていいのは私だけです」
ハルキはもう、どれが嘘でどれが本当なのかわからなくなった。
しかし、ケイの細めた目が、熱い吐息が、上気した頬が、愉悦に歪む唇が、すべて自分を求めているように見えて、ごくりと唾を飲み下す。
「あなたは一生、私だけの物です」
目頭が熱くなった。
その言葉が、自分にだけ向けられる歪んだ笑みが、他のすべてを些末な事のように思わせた。
散々ひどい言葉をあびせられ、暴力を振るわれたとしても。
それでもきっとそのあとで優しく抱きしめてくれるに違いない。
暗く淀んだ心が、甘い妄想で満たされていく。
そうだ。これでいい。
ケイの愛情を受けられるのならなんだっていい。
ハルキは頭を頷かせ、目に涙を湛えたまま、再びケイの胸に顔を押し当てた。
なんだかいい匂いがする。
まるで、食虫植物の甘い匂いに誘われて、自ら落ちていく羽虫の様に、ケイの内側でゆっくりと溶かされていく。
人に愛情を与えられるという事は、こんなにも幸せで、こんなにも恐ろしいものなのか。
ハルキはやっと手に入れたものを噛み締めて、ずっとケイの腕に抱かれていた。
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