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若気の至りと呼ぶには
2018/03/25参加、56分
・嘘だと言ってくれ
・人違い
・桜色
一瞬、我が目を疑った。
もう2度と、瞳に映すことはないと思っていた姿を、今捉えている。
もう5年も前になるだろうか。
大学で知り合い、3年間交際を続けた相手と、就職すると同時に別れた。お互い違う環境に身を置くようになり、すれ違いが増え、会えない時間が2人の心をも引き離したのだ。
所詮、そばにいて頻繁に会えないと潰れる、その程度の仲だったのだ。若い恋愛にはよくあることで。
そう割り切ろうとしても、この5年間ずっと割り切れずにいた。それどころか、歳を重ねるほどに、若かりし過ちを悔い、少し大人になった今なら、うまくやれるのではないか…などと考えることもあった。もしも、もう一度会えたら、今度は…
そう願っていた相手が、目の前にいる。
市内の駅のバスターミナル。彼はバスを待つ列の中にいた。
きちんとスーツを着こなし、あの頃襟足を覆っていた髪は綺麗に切り揃えられ、すっかり一端のサラリーマンだ。
「…コウキ…?」
遠慮がちに、声を振り絞った。
コウキが呼ばれて振り返った。
「ーー!」
コウキは幽霊でも見たかのような形相になった。
もう2度と会いたくないと思っていた相手ー昇太ーが、目の前にいて、自分の名前を呼んでいる。
8年前。一目惚れだった。
たまたま出席番号が近く、なにかと授業で席が近くなることが多いことから、自然と距離が縮まった。
年明けには告白していた、そして交際が始まった。
好きで好きで仕方がなかった。他の誰とも話してほしくないぐらいに。2人はコウキの部屋で半ば同棲のように過ごし、昼夜問わず毎体を貪りあった。体がドロドロに溶け合って一つになってしまうのでは、なってしまえばいいのに。そんな気持ちで、繋がっていた。
あまりにも所構わずベタベタしすぎて、周囲にはバレてしまい、あれこれ言われることもあったが、2人でいられるなら何を言われても平気だった。若さがなせる技だった。
そのうち周りも何も言わなくなった。
あの頃は、あの恋が人生の全てだった。
ずっとこんな日が続くと、一生離れることなんてないと、信じきっていた。
それなのに、終わりは思いのほか早く訪れた。何で別れたんだっけ?よく覚えていないのは、あまりにも辛い記憶だったからだろうか。
もうあんなに人を愛することは、この先ないんだろう。
あれからそう思って生きてきた。
若気の至り、というありがちな言葉にすべての想いをしまいこんで、心の奥底に追いやって生きてきたのだ。
この歳になった今、もうあんな恋愛をすることはできない。
「…人違いです」
くるりと背を向けた。
左手のリングは、無意識に右手で覆った。
「えっ…」
あの形相からの、予想外のリアクションに、昇太は狼狽した。
震える肩と、もともと白いところへ桜色に染まった耳が、コウキの嘘を訴えかけているというのに。
なかったことにしたい、そういうことなのか?
あの日々を。
「ちょっと」
なおも声をかけようとするが、バスを待つ列の、周囲の視線が痛い。ただならぬ空気に、注目が集まってしまっていた。
やがてバスが来て、コウキを含む乗客がバスに飲み込まれてゆく。
もう一度、なんて思ってたのは、俺だけだったのか?
サプライズ好きなお前のことだ、発車間際に飛び降りて来て、ビックリした?なんて言うんじゃないのか?
なあ、嘘だと言ってくれよ。
バスは発車し、昇太ひとり動けない。
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