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失言
お題
・美容院
・寒いからあたためて
・器用貧乏
「どこ行くの、この寒い中」
寝ているとばかり思っていた彼が、のっそりと起き上がった。
確かにその日、外は雪がちらついていた。
「美容院の予約入れてあるの忘れてた。すぐ戻るから」
「キャンセルしなよ」
間髪入れずの、いささか身勝手な返答に少し戸惑ってしまう。
「すぐ戻るって、カットだけだし」
なおも靴を履こうとすると
「俺が切ったげるから。せっかく俺が来てる時に出てくなよ」
ああ、そういうことね。
つまり、寂しいと。
「…ほんとに切れるの?任せて大丈夫なの?」
「器用貧乏ってやつ?昔超貧乏だった頃は散髪代すら惜しくてよく切り合ったもんだよ」
言ってしまって、 ハッとしてるみたいだけど、遅いからね。
「…どこのどなたと切り合ってたんだか」
俺と付き合う前、長く長く付き合った相手がいたのを知っている。まだ売れる前の苦しい下積み時代を共に乗り越えた仲であることも。
そんな二人がどうして別れたのか、俺には知る由もないが、そんなに長い期間、コイツとそんなに固い絆で結ばれていた顔も知らない相手に、俺は今まで何度となく嫉妬してきた。
「…切りすぎだよ」
「いや、よく似合ってると思うけど!」
数分後、鏡には後悔する俺と、苦笑いのヤツ。
思っていた以上に短くされてしまい、首回りがスースー寒い。
「似合う似合わないの話じゃないよ。何が器用貧乏だよ、どうしてくれるんだよまったく」
ブツブツ文句を言う俺の横で、小さくなってやがる。少しは反省したか、この野郎。
ちなみに怒ってるのは髪を切りすぎたことよりも、昔の男の影をちらつかせたことに対してだからな。
すっかりしょげかえっている。そろそろ許してやるか。
「首元、寒いからあたためてくれる?」
隣へくっついてってそう言ってやると、ヤツの表情がぱあっと明るくなった。
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