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真相 2

 就職は一人離れて大阪に決めた。札幌にいたら甘えてしまいそうだった。そしてそれは僕が僕でない存在でありつづけるということになる。未だに不完全なままの自分をなんとかしたかった。  まずは仕事で自分の存在価値を認めようと思った。僕の仕事に対するモチベーションは他の人間と種類が違ったこともあったから、どんどん高い位置に登っていくことになった。  このプロジェクトを成功させる、高い給料をもらいたい、そんな意欲ではなかった。僕が僕として「生きていけるのか」それが懸っていた。  役職もついて、27歳になった時縁談が持ち上がった。部長から娘をもらってくれないか?と言われたのだ。  結婚に意味を見いだせないが、拒否する理由もない。上司の打診を断る、承諾する、それによって今後が大きく変わるのも理解していた。  部長の娘さんなら好きになれると思ったことも受けた理由だ。僕はこの上司との出会いをとても大事なものと感じていた。この人とかかわることで僕の将来も大きく変わる、その予感があった。  一度会ってみくれと言われて初めて彼女と顔を合わせた。消えてしまいそうな女性が目の前に座っている。色が白く小柄で大きな目は森のなかの鹿のように濡れて怯えていた。  自分の生まれたところや簡単な自己紹介以外に話すことがなくなり、互いに押し黙ったまま時間だけがすぎていく。  小さい頃の自分のようだった。「大人の話」になると黙りこみ、一度も会いにこない両親のことや、いつから祖父母の家にいるのか、自分はどうしてこんな生活をしているのか。聞きたいことが山ほどあったのに、聞いてはいけないことなのだと理解して黙っていた。  余計なことは言わないと決めていたあの頃。  子供らしくない子供と言われていたあの頃。  ミサキだけが僕と手を繋いでくれたあの頃。  向かい側に座る彼女の顔から色が失われていく。意志の力で持ちこたえていたものが崩れようとしているのがはたから見ても明らかだ。  彼女の顔に映るのは絶望。見覚えがある……病室で僕が帰る時に美咲が浮かべていた。 「あなたは結婚したくないのですね?きっと好きな人がいる」  彼女の左目から滴が一粒零れ落ちた。 「僕の今後にもかかわることなので、あなた達ときちんと話をしなくてはいけません。都合もあるでしょうから、ここに連絡をください」  僕は彼女に名刺を渡して精一杯微笑んで見せた。 「僕はまだなにもあなたから聞いていませんから何もしりません。部長に話す材料はありませんから、安心してください」  おずおずと名刺に手をのばした彼女は、初めて僕の目を見た。  それから五日後、彼女と僕はまた向かい合っていた。 「家にお招きするのもどうかと思ったんですが、人のいるところだと落ち着かなくて」  部長は東京に出張しているから留守なのは知っていた。どうやら奥様も留守らしい。 「そうですね。タイミング悪く料理が運ばれてきたりしますからね、何故かいつも」  彼女は力なく笑った。未祐さんだったか。 「加瀬さんが嫌な人ならいいと、そう思っていたんです。でもなんか違って。このあいだはすいませんでした」 「当てがはずれて悲しくなったんですね、わかります」  ドアベルがなった。立ち上がった彼女はすぐ戻ると小さい声で言い部屋を出て行った。玄関先までは部長を送って来たことがあるこの家に今いる、それも縁談がらみとは。それにどうも流れはよろしくない。  足音がする。どうやらもう一人お客様がみえたようだ。  僕たち3人はぎこちなく居間の真ん中で立ったまま無言だった。ようやく未祐さんが「木原正登さんです」と言ったので、僕は自分で名乗った。  ぽつりぽつりと話す二人の話を自分の中で組み立てる。彼女はその男と一緒になるつもりだと言った。僕の立場を考えると破談になると迷惑がかかるから家を出ると。木原さんは料理人で、2ケ月前にここに挨拶にきたものの「水商売の馬の骨に娘はやれない」部長はにべもなく切り捨てたらしい。  親に逆らうことをせず生きてきた彼女が初めて自分の意志を伝えたのに、散々な結果になった。そのあげく僕との結婚話が降ってわいたというわけだ。 「加瀬さんは何も知らないほうがいいとも思ったんですけれど、今後のあなたの立場とか……そういうことを考えたら、きちんとお話しなければと思いました。父は私が木原さんとのお付き合いを諦めると思っていると思うんです。今までのように『言うことを聞くはずだ』と。でも今回に関しては諦めるつもりはないのです。たとえ加瀬さんに迷惑が懸っても、それでも私は自分の人生を生きていきたい」  目の前に座る、この華奢な女性は「自分」を持っていた。仕事の結果ではなく、お金でも地位でもなく「自分の人生を生きていく」という自分では絶対言えない言葉を発した。  映画や小説で使い古されたように何度もでてくるありふれた言葉。今までの自分を通り抜けすり抜けていった言葉でしかなかったのに。  それは僕が今手にしようとしているものだった。「自分の人生」を生きる。 「未祐さん、もしかして」  お嬢様育ちのこの人が家を出るなど、好きになった男のためだけとは思えなかった。 「加瀬さんにお会いする3日前に……わかりました」  そうなると全く話が違ってくる。僕たちの決断が一つの命の人生を担うことになる。 「自分の店を持てそうなんです。自分の力ではないですが、店を持つなら協力してもいいというお話をいただいてます。だから!」  馬の骨君、それでは遅いだろう?これしかないと思えた僕は二人に告げた。 「その店が軌道にのるまで、というか乗せると信じて、それまで彼女を預かるよ、僕が」  それからの話し合いは長い時間に及んだ。まずは男のプライドというやっかいなものを脇にどかせる作業をしなくてはならなかった。ここから僕はビジネスと同じように物事を考え計画を立てはじめ、目の前の二人の説得にかかった。  最優先は生まれてくる子供のことであり、それを考えなくてはならない。子供を育てていくなら結婚という形式をとったほうがいい。午前中から深夜に及ぶ料理人の仕事をしている間、身重の彼女が一人で暮らすことの不自由さ。家をでてしまえばそれが現実になり実家の援助も望めない。  僕の仕事は1ケ月のあいだ、多くて半分しか家にいないこと。  この家は未祐さんの結婚と同時に彼女の住処になる。部長たちは中心部にマンションを購入しそこに移ることになっていること。 「籍はいれます。書類上会社に入籍せずにごまかすことはできませんから」 「そんな簡単に結婚なんか!加瀬さんの戸籍だって汚れることになる!」  汚れる?木原君。いまさらだ。そこに書いてある文字は僕にとって何の意味もない。 「書類上の両親の名前。でも僕は一度も彼らにあったことがありません。生きているのか死んでいるのかもわかりません。大切なのは現実ですよ。そこに何が書かれようが、バツやマルがついたところで今更です。僕にとっては。 最優先に考えなくてはいけないのは、子供のことです。あなたたちの、それとあなたたちの生活です。親子3人の」  2人は黙りこんだ。 「僕は、部長に借りをつくっておきたい。だから僕の利益にもなるんです、僕のためにも考えてくれませんか?」 「加瀬さんの利益って?」 「僕はやりたいことがある、ある意味部長の未来図にも重なるけれど、それを実行に移すには社内的にも建前が必要になるはずなんです。たぶん離婚という形をもってそれは可能になります」  二人の視線は何を言っているのかわからないと僕に告げていた。 「ここで詳しい話をしても意味がない。それはわかってください、ただし条件があります、木原君」  正登は条件という提示に安心したのか力を少し抜いた。 「僕はここに引っ越してきます。生活費をおさめます。今だって家賃もろもろかかっているわけですから。僕はほとんど大阪にいないので未祐さんを一人にしてしまいます。木原君もここに越したほうがいい。2つもかまどを持つ必要はない。その分お金を大切にしましょう。子供が生まれたらちゃんと木原君が父親として接してください。僕の立場は間借り人です。 ただし3年です。それまでに君の店が軌道にのれなかったら、そのまま僕が未祐さんとの結婚を継続して子供を育てます」 「俺までここに越してきて、未祐の家族にだってばれてしまうじゃないですか。騙しとおすことなんかできません。無理です」 「3年は?」 「3年といわずやり通します。子供の未来がかかっている。あなたに僕たちの子供を差し出すわけにはいきません!」

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