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epilogue
いつの間に寝ていたんだろう。あ……そうか、朝倉のところだった。むっくりと上半身をおこすと、パサっとタオルケットが滑り落ちた。いつの間にかソファでウトウトしてしまったらしい。ゴシゴシ顔をこすっていると、部屋のドアがあき、重が入ってきた。
「目が覚めたか、寒くなかったか?」
思った通り、タオルケットをかけてくれたのは重なのだろう。
「うん、大丈夫。朝倉たちは?」
「あいつらもぐずりだしたんで、ベッドの上に放り投げてきた」
「二人とも?」
「そ、二人とも」
思わず、吹き出してしまう。目がさめて二人でベッドにいることに気が付いた時の騒動は容易に想像できる。うろたえる朝倉を仁がさんざんからかうのが目に見えるようだ。
「重、今何時?」
「まだ5時すぎたところかな」
4人で朝倉の家に移動したものの、それほど長くは続かなかった。0:00過ぎまでは覚えているけれど、いつ自分が寝入ったのかまったくわからなかった。
「重は寝たの?」
「さっきまでな、床で転がって寝る歳じゃないな。肩が痛い」
「掛けてくれたんだろう?ありがとう」
「寒そうに丸まっていたからな、お前」
そう言ってほほ笑む。重はいつだって優しい。
それにしても中途半端な時間に目が覚めてしまったものだ。本当は今日大阪に帰るつもりだったけれど、昨日の勢いで飛行機の便を一日遅らせた。予定変更は専務に電話で伝えたので会社は問題ない。今日一日何をしようか。
「店は何時から?」
「今日は休み。臨時休業という名のズル休みだ」
「大丈夫なの?休んじゃって」
「夜の予約がなかったしな。ランチのお客様には申し訳ないけど、久が決めたからいいんだよ」
すべての主導権は重が握っていそうなのに、重はけっこう朝倉に委ねているところがあって、そのバランスが一貫していないのにうまくいっているのが不思議だ。
「来てくれたお客様、閉まっていてがっかりするな」
「でも、しょうがない。こういう時でもなければ休もうなんて思わないし。智がきっと素敵な貼り紙をしているさ」
「貼り紙?」
「臨時休業の。昨日頼んだから。設備工事の為とか、もっともらしい言い訳を貼り紙にしてくれているはずだ」
「そっか」
久しぶりに逢った。ほんとうに久しぶりに。
「トモキ、なんだかかわいかった」
「そうだな、あいつ最近かわいくなったんだよ。角がとれたというか、柔らかくなった」
「たぶん宮の影響だね」
「だろうな。実際昨日初めて逢ったけどいいヤツそうで安心した。男前だし。なんか似ている、あの二人。色素が薄くて」
重の言い方がおかしくてクスクス笑ってしまう。色素が薄い、たしかにね。
「お前といたとき智はかわいいってモンじゃなかったからな」
いつも張りつめていて、背筋が伸びていた。本当の笑顔を見たことがなかったのだと昨日気がついた。泣き顔だってそうだ。僕の前では零すまいとして目を細めるトモキばっかりだった。
「僕たち……普通じゃなかったんだよ」
重はポンと僕の肩をたたいて部屋を出て行った。もうそれ以上言わなくていいぞってことなのだろうか。昨日沢山の話をしたけれど、トモキのことはあまり話さなかった。僕だけのものとして胸にしまっておきたいことが多いから。
重はトレイに何か載せて戻ってきた。暖かいコーヒーとサラダボウルに入った何か。
「起き抜けのコーヒーはうまいからな。あと、腹すいてないか?」
いい香りのマグカップとサラダボウルを受け取る。
「あ、シェフサラダだ」
それは大学の頃、僕が初めて食べた重の料理だった。勝手にシェフとあだ名をつけていたから、自然と口をついてでてきて以来仲間内でこの呼び名が定着してしまったサラダ。
角切りのじゃが芋と人参。様々な種類のビーンズ。ちぎったレタスに玉ねぎのスライス。レシピを聞いても絶対同じ味にならないドレッシングで和えてある。
「店のメニューにあるんだ。常連は必ず注文してくれる。ネーミングはもらったから」
「え?」
「シェフサラダ」
重はニヤニヤしながらフォークを渡してくれた。
「おいしい。あれ?鶏肉がはいってる」
蒸したのか茹でたのかわからないけれど細かく裂いた鶏肉が入っていた。
「さすがに気が付いたか。仁は未だに気が付いてない」
「前は野菜だけだったよね」
「久は焼いたボローニャをいれたらどうだって言ったんだけど、しっくりこなくて。これ智のアイディア」
「へえ」
「このぐらい細かいと野菜の邪魔にならないけど食べごたえがでるって。夏はグレープフルーツをいれたりするんだ。ちょっとビネガーきかせて。大変なんだよ、智の取り合いで。久と俺、毎日戦争」
目に浮かぶ。
「でも、ホールも厨房もって大変だろうね、トモキ」
「んん。まあ、すぐに決めなくても、いずれ方向性は決まるだろうし。自分で店やるから辞めますってのもあるだろうし、先のことはわかんないよ正直。ホールは店の顔だろ?」
「料理だってそうじゃないか」
重はコーヒーを一口のんで、旨いと呟く。
「久にまかせておけば大丈夫。あいつが睨みをきかせているから、うちは割と客層いいんだ。気持ちのいいお客さんが多い」
「さすがミスターオネスティ」
「なんだそれ」
あ、そういうものなのか。自分が他人にどう言われているか意外と耳に入ってこないものだ。
「朝倉、大学の時そう呼ばれていた、陰で」
「ずいぶんご立派なあだ名だな」
「朝倉行儀悪いの大嫌いだったし」
「今も変わらずだよ」
正義感が強くて、慌てんぼうで、いつも人の心配をしている。そしてとびきりの笑顔。
「もう気にしないでくれるといいな、トモキのこと。朝倉のせいじゃないから」
「宮田を見たから。もう大丈夫だ……それに」
「なに?」
「色恋に良いも悪いもない。だから加瀬も悪くないからな。少なくとも俺はそう思ってる」
いつもこうだ。僕が一番何も言わないでいるのに、一番欲しい言葉をくれる。
「重には、かなわないな。いっつも」
僕の肩をポンとたたいて重は立ち上がり、今度はコーヒーポットを持ってきた。
「最初からこれごと持って来ればよかったよ。寝ぼけてたな」
マグカップに熱いコーヒーが注がれ、いい香りが立ち上る。窓の外が明るさをましてカーテン越しに朝を感じられるようになった。
「仁とつきあうことになるのかと思った時期あったんだよ、お前。でも違ったんだな」
たしかにそうだと思っていた人間も多かったんじゃないだろうか。実際仁とは気が合ったし、割と素直に言えたことも多い。
「たぶん、僕が不完全だったから通じる部分があったんだよ
」
「言うほどオカシイ人間じゃなかったぞ、お前も仁も」
「でもね今でこそマイノリティーこそがノーマルだと言わんばかりだけど、きっとそこまで割り切るまでに色々あったと思う、仁」
「だろうな」
重はポスっと頭をソファの座面に倒して天井をみつめる。朝の喧騒が遠くにきこえはじめて、この静かな時間が残り少ないことを残念に思った。
『陵くん僕のこと知ってた?』
『うん。沓沢は有名人だし』
『仁でいいよ、あと僕の知ってることは?』
『たまに人を見下すような目をする。わりにそれが好きだ』
『やっぱり、君は最高だね!思った通りだ』
加藤に押し倒されたあと重の提案でカフェテリアに向かう途中、仁とかわした会話。初めて言葉を交わす人間にこんなことをよく言えたものだが、仁には言えた。相手が喜ぶと思ったのだ、何故か。そしてそれは思ったとおりの結果で、僕たちは今もずっと一緒にいる。
「三銃士は女王様に手を出しちゃいけないだろう?」
重の苦笑いは当時と同じだ。加藤の一件から僕たちは一緒に行動することになった。仁はどこか自分を投げやりに大切にしないところがあったから、重に怒られ、朝倉に世話を焼かれていたものだ。人のことをアンタとか苗字でしか呼ばないのに、僕たちだけは名前だった。おまけに僕は陵くんだ。
周りは仁を女王様、その他を三銃士と言ってからかった。重は毎回訂正していた『仁は男だから女王様にはなれないぞ』こうやって苦笑いしながら。
「女王様とその取り巻きか。実際のところ、ただつるんでいただけなのにな」
「きっと皆うらやましかったんだよ」
「なんで?」
「楽しそうだったもの、僕たち。あの出会いがなかったら僕はまだフワフワしていたかもしれないしね」
重こそ、朝倉とはだめなの?」
バシ!肩に思いっきりパンチをいれられた。
「ありえんだろうが、ありえない!小学校から一緒だぞ、おい」
「じゃあ、仁は?」
バシ!こんどは太ももにズシンと拳が響く。
「ついでに、お前もないからな!女にしてくれよ……頼むから」
今なら言えるかもしれない。
「僕はいつも何も重にいわなくて、でも自分で納得できたと思えたら言えるんだ」
重は何も言わない。
「今度もずいぶん時間がかかってしまった。沢山のことが積み重なってきたし、10年かかったから」
「いいよ、何年かかろうが」
「え?」
「納得できなかったら、納得できないって言えばいいだけだ。自分で納得するまで頑張るなら頑張っておけ。俺はいつものように待っているから。実際それしかできないけどな」
重、言ってもいいかな……目の奥が痛くなって鼻がツンとする。
「お父さんって重みたいなのかな……って、ずっと……」
堪えたものはポロっと溢れた。ずっとそう思っていた。
重は僕の頭をガシガシ乱暴になぜて右腕に抱えてくれた。頭を優しく抱えてもらいながら、重の肩口でメソメソ泣いた、子供みたいに。
「……よかった、帰って……こられて」
「俺もよかったよ。今度は一人で決めてどっかいくなよ。ちゃんと相談しろ」
重は重のままで、そのことがとても嬉しくて、特別な朝が流れていく。
「仁!お前人のベッドで何してるんだよ!」
朝倉の大声が隣の部屋から響いてきた。
「おい!なにほっぺたなめてんだよ!やめろよ!触るなこら!」
僕と重は同時に笑い出す。僕の目元は優しくぬぐわれて頬がペチペチ叩かれた。
「さてと、煩くなるぞ。仁はこのサラダをパンに挟んで食べるとダダをこねるだろうし、久は濃いコーヒーが欲しいと喚くはずだ」
「先に食べたし、飲んじゃったから。責められるな」
「しょうがないから、お父さんは皆の面倒をみるか。加瀬、手伝ってくれよ」
僕たちは連れだって台所に向かう。
朝が始まる。明るい一日が僕にやってくる……やっと、自分の居場所に戻ってこられた。
この暖かい僕の場所に。
END
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