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人は何回恋をするのだろう?
一回?二回?三回……?
そもそも恋とは何なのか。好きと言う気持ちが芽生えたら、それは恋なんだろうか。ならば、オレは目の前にある麦茶に恋してる事になる。
「基くん。久しぶり……。僕の事、覚えてるかな?保育園で……」
「……だいち、センセイ」
よく覚えてる。大好きな先生で、オレはだいちセンセイに構って欲しくて、自分を見ていて欲しくて、気にして欲しくて、ずっと後ろをくっ付いて回ってた。もしかしたら、あれが初恋だったのかもしれない。そんなだいちセンセイが、なぜか我が家のダイニングテーブルに座っている。しかも、父さんの恋人として。
「名前まで憶えていてくれたんだ。嬉しいな~」
嬉しそうに笑い胸を撫で下ろすだいちセンセイは、やや明るめの茶色い髪に緩くパーマをかけ、その髪をふわりと揺らす。昔からだいちセンセイはそうだった。
「それと、この子が僕の子で……。空と海って書いてそうって読むの。今小学五年生なんだ」
だいちセンセイはそう言うと、先ほどからわざとなのか、隣の席でカタカタと音を立ててゲームに勤しんでいる空海を困った表情で見つめ、僅かにため息を漏らすとオレに視線を戻す。
「それでね。来月から一緒に住まないかって、彰さんが言ってくれてね。基くんにもご挨拶兼ねて話さないといけないと思って……」
だいちセンセイはこんなに小さかったっけ。それに少しばかり線が細くなった気もする。でも、それはオレが成長したから。そうは言ってもオレよりは十分に背丈はあるのだけれど。
父親は一八二センチでがっちりとした体格なのに対して、オレは母親に似たのか十六歳の今、身長は一六四センチ。まあ、別に小さいってわけでもないんだけど。筋肉量が少ないのか、ぺったりとしていて、これからまだまだ成長するイメージが湧かない。顔も父親のような精悍さもなく、女顔ではないが男らしさもない。すべてがとてつもなく中途半端。
「……基くんが許してくれるなら、空海と僕でご厄介になりたいんだけど、いいかな?」
だいちセンセイの様な柔和な雰囲気に憧れる。変わっていない。歳は取っているものの、醸し出す雰囲気や笑顔は十年前と全く変わっていない。
「まあ、そういう事だから。基、宜しくな!」
オレの横で悪びれること無く言う父さんに腹が立つ。父さんはいつだってそうだ。
「基くん、ごめんね。びっくりしたよね?」
「ええ、まあ……」
「基くんにも、都合があると思うから。断ってくれて大丈夫だよ」
少し寂しそうに言うだいちセンセイに、どう返していいのか分からない。
「大地。またそう言う事言うなよ」
「でも……」
「基だって、小さい頃大地に懐いてたじゃないか。別に嫌じゃないだろ?」
「それは、そうだけど……」
急に他人と同居する事に躊躇わないと思わないのだろうか?
「……ちっ……!お前も、敵か……?」
盛大な舌打ちと空海の言葉は、明らかにオレに向けられていた。まあ無理もないと思う。オレがこの歳で見ず知らずの家に連れてこられ、では一緒に暮らしましょう。と言われても素直には頷けるはずもなく。新たに現れたオレを敵視するのも無理はない。
「俺は認めねぇからな……!大体、彰が家に来るのだって嫌だったんだ。でも大地がどうしてもって言うから我慢してきたんだ!なのに、なんで一人増えてんだよ!大地は誰にも渡さない!一緒になんて絶対に暮らさないからな!大地帰るぞ!」
まくし立てる空海は、大地先生の腕をぐいぐいと引っ張り玄関に向かっていく。それを慌てて止める父さん。そんな光景を、オレはあやふやな感情で見つめていた。
そして数十分後。説得の甲斐もなく項垂れて戻って来た父さんを尻目に、オレはキッチンに立ち夕飯の支度を始める。父さんもまた手伝うためにキッチンに立ち、ボールと計量カップを棚から取り出すと米袋の前でしゃがむ。
「明日のお弁当にも使うから、三合炊いて」
「おぅ、分かった」
ザラザラとボールに米粒が落ちる音が響き。それを持った父さんはオレの横に並んだ。
「なあ、基。大地たちと一緒に暮らすの嫌か?」
「嫌っていうか……その前に、オレに言う事ある気がするんだけど……?」
ワークトップにまな板を置き、ピーマンを切るオレの顔を覗き込んだ父さんは、何かを考える様に視線を動かす。
「ん~?基は、もしかして怒ってる?」
「当たり前でしょ。オレには何の相談どころか、恋人が居る事すら報告されてないんだから」
「いや~。それは順を追って話そうと思ってたんだよ。それに、大地に会った事は前に言っただろ?」
父さんが研ぎ汁を捨てる合間に、オレは人参の皮を洗い流す。
「それは、そうだけど……。付き合ってたなんて、聞いてないからね。オレだって……こういうの、想像してなかったわけじゃないし。いつかは……こうなるのかもって、覚悟、してたよ?でもね、順序ってものはあるよね?」
「ごもっともで。今回の事については俺が悪かった。まあ、大地とはばったり会った日から、ちょこちょこ会ってたんだよ。お互い父子家庭だろ?そんなこんで相談したりされたりしててさ……」
「いつから、付き合ってるの?」
「一週間くらい前かな?」
「え?」
父さんが何を言ってるのかよく分からない。
「一ヵ月くらい前に偶然、駅前の不動産屋から出てくる大地を見かけてな。で、その時知ったんだけど、大地が住んでるアパート。再来月に取り壊すんだと。で、ここなら学校からもさほど遠くないし、一緒に住もうって提案してな」
父さんの思い付きはいつもの事だけど。今は、何の話をされてるんだろう。
「初めは大地も嫌がってたんだけど。まあ、色々あって。付き合う事になって。なら、基に報告しようってなったんだよ」
ああ、馴れ初めだったんだ。父さんは良くも悪くも、相手のテリトリーにどんどん入っていく。しかも本人に悪気はない。悪気がないから質が悪い。
昔からそうだ。良かれと思って唐突に行動に移す。この家に引っ越してきた時もそう。突然、良い家を見つけたから買ってきた。と報告された。まるで、今フライパンの上で焼かれている野菜を買って来たかのように。
「まあ、そう言う事情があるなら仕方ないけど。空海くんの事、どうするの?」
「説得するしかないんだろうな」
洗い終わったお米を炊飯器に入れて、炊飯ボタンを押す父さんの口から深い深いため息が漏れる。
「父さん。そう言うの得意だし、頑張ってよ」
「おう。四人で一緒に暮らすの楽しみだな」
数時間後。食卓に並ぶ料理を前に、早ければ来月には大地先生と食べる事になる。そう思うと少しわくわくした。
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