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第1話
風が強く吹き、紅葉が舞い散る。雷が鳴り雨が降る夜、八雲を見ながら橋を渡っていた。人の縁を結ぶと言われるこの橋の、下を流れる川に映る私は酷くやつれている。
冷たい水が顔を滴り落ちては、川の上に波紋を作る。大きく広がって出来る円は、時交わさず別の円の元に向かい、ぶつかってはなくなり、生まれてはまた広がる、その繰り返し。
いつまでも耽っていると、紫色の花が大量に流れてくる。庭に咲く花に似ているが、あれはなんであろうか。目を凝らすも、早い流れの川がさらって飲み込んでしまう。なにかに引かれるように川の近くに下りると、今度は人が流れてきた。
何故と疑問を持ちつつ、今度は見過ごすわけには行かぬと、着物を少し捲りあげ慎重に川へ入る。幸い、端の方に流れてきたから時期を見計らい、こちらに寄せることが出来た。思い切り川から引っ張り出し橋の下まで運ぶ。
流れてきたのはやせ細った少年。髪は伸び、女のような細い腕だが、男物の着物を着ている。薄汚れて、あちこち怪我をしている彼は、生きているのか死んでいるのかすら分からない。
パチパチと頬を叩き揺さぶると、小さく呻き声を出す。とりあえずは安心したが、別の場所に運ばなくてはと家の離れに連れていく。
私も雨を避けるものを持っていなかったから、互いに体温が低い。離れに向かう途中で死んでしまうのではないかという焦りから気持ちは急いだ。
家の者がいないか確認し、野鼠のように離れに入る。少し裕福な家とはいえど、隙間から容赦なく風が入るここは、濡れすぎた私達の体では寒すぎる。
急ぎ火を起こし火桶を少年の傍に置くと、私も彼を抱えて同じく温まる。着物の裂け目から見える白い肌に服を着せようと思い立つ。
小さくなった着物を1枚取り出し、少年に被せる。私が幼い頃に来ていた着物でさえこの少年には大きかった。どれほど粗末な生活をしていたのか私には想像もつかない。
パチパチと火花を散らし、白い灰が増える。そんな火桶を見ているとだんだん瞼が重くなる。
水が体温を奪ったお返しに眠気をくれたようだ。もっとましなものをくれと、ぼやけた先には少年も同じように寝ている。幼い顔に、自分の服を着ている少年。昔を思い出しながらも限界を超えた私は深い眠りについた。
「・・・・・・の、あの」
目を開けると心配そうにのぞき込む少年が目に入る。驚いて突き飛ばしてしまったが、私に怯えるその少年を見てはっと我に返った。そうだ、私が連れてきたのだった。
すまないと謝るが、縮こまって部屋の隅の方で丸まっている少年は、私を警戒している。目線を合わせ安心させようと顔を見ると、寝ている時には分からなかったが、母上に少し似ている。死にそうなほど顔は青白いのに、儚げな容姿からかどこか美しさが深く浮き彫りになっている。やっと肩の力を抜いた少年に名前を聞くと、首を横に振り答えない。
「ではなんと呼べばよいのだ」
「捨て子、と呼ばれていました」
「それは、名前ではなかろう?」
顔を歪めて滅法黙ってしまったから、配慮が足りなかった私の失言に反省した。
「すまぬ。では私が名付けていいだろうか?」
首を縦に振る様子をみて、「光長はどうだ」と言う。その少年は名前を繰り返し嬉しそうにまたその名を呼んだ。
「素敵です、ありがとうございます。信義様」
「私の名を知っておるのか」
「はい。私の領主様ですから」
この少年は管轄内の領民であるらしい。納得はしたものの、領民がこうもやせ細っているのを見ると、技量が足りないと不甲斐なく思う。母上から神からの申し子だとかなりの期待をあてられてはいるが、それは子供可愛さから来るもの。実際の私には才能もなく、度々重圧に耐えられなくなっては、今日のように一人夜風にあたる。母上の言葉を思い出していると、光長がおずおずと口を開いた。
「信義様、お願いがあります」
「なんだ」
「まだ眠とうございます。失礼ですが、私と一緒に寝てはくれませぬか」
そう言い横になる光長を何故か愛おしく感じた。奥ゆかしい想いに燻られ、抱きしめたくなる。
「ただ横にいてくれるだけで良いのです」
かけられた着物を手繰り寄せ、小さな口が、袖に咲く紫の花に触れる。確か、花の名は松虫草。名前通り、松虫がなる頃に咲く花。私が生まれた時もチンチロリンとこの虫が庭で鳴っていたらしい。この花に美しい蝶がヒラリと舞う光景が目に浮かぶ。
「よいぞ。ゆっくり休まれよ」
安心したのか再度目を閉じ、光長を追って私も眠りに落ちた。
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