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明けない夜はない 6
「んっ丈……俺を離さないで。ここにいて……」
うわ言のように繰り返される「丈」という名前に、思わず眉をひそめてしまった。
洋がどうしてその名を口にする?
涙まで零して、一体どうなっている?
洋は……あいつが嫌で家を出たんじゃないのか。
かける言葉が見つからない。その手を取ってやれない俺はそのまま扉を閉めて、無言で階段を降りた。
「安志。ねぇ……ちょっといいかしら?」
居間にいる母さんから深刻な声で呼ばれた。
「何?」
「あのね、洋くんのことだけど……」
「えっ」
まさか今の口づけ見られてないよな?と焦ってしまう。
「ちょっといい?こっちに来て」
リビングには父もいるので、1階の空き部屋に呼ばれた。
「なっ何だよ?」
「んっ…あのね。母さん、さっき洋くんが寝汗をかいているから着替えさせてあげようと思って、襟元を緩めてあげたのよ」
「それがどうかした?」
「うーん、実はちょっと気になることがあって」
「洋がどうかしたの?」
「……母さん悪いと思って着替えさせること出来なかった。なんかね……」
母さんはそこから先は言い難そうに、モゴモゴとしている。
「なんだよ?はっきり言ってくれよ」
「……あのね洋くんの首筋に、うっ血した痕が何か所もあってね」
「それが?喧嘩でもして殴られたのか」
「それならいいけど……」
「違うのか」
「安志。あんた男だから、気兼ねなく着替え手伝ってあげられるでしょ。他にも躰に痣がないか確かめてみてもらえない?」
「うん、いいけど……何だ?」
母が言おうとしていることの意図がピンと来ない。洋の躰に痣? 洋はいつも白く滑らかな綺麗な肌で眩しい位だったよ。ふと高校のプールの時間のことを思い出す。あの日どうして俺は洋を置いて先にロッカーから出てしまったのか。どうして教室に戻ってすぐに洋がいないことに気が付かなかったのか。どうしてあの日階段上であんな告白してしまったのか。あの日の後悔がどんどん浮かんできて、胸が苦しい。
「安志、これ新しいパジャマだから、洋くんにどうかしら? 今日は泊まるから着替えさせてあげて。スーツのままじゃ寝苦しそう」
「分かった」
洋が俺の家に泊まるのは、いつぶりだろう。そう思うと少しだけ心が温かくなる。もう一度自分の部屋に戻ってみると、洋は再び熱にうなされるように昏々と眠り続けていた。
「洋……起きられるか」
そっとその緩めた襟元を覗いてみる。
母さんが言っていた痣って一体なんだ? 確認してみるか。
すると……洋の白い首筋に噛みつくように残された鬱血した跡がすぐに目に留まった。だいぶ薄くなっているが、かなり激しくつけられたと分かるものだった。
まさか……これってこんな部分に。これって、やっぱりアレだよな。
途端に想像して赤面してしまう。そしてはっとして洋のワイシャツのボタンを全部外し、これ以上こんな痣がないことを祈りながら、恐る恐る前を全開させて確認した。
「あっ」
思わず声をあげてしまった!なんとも痛ましいほどの量の鬱血。キスマークなんて可愛いものではない。
執拗に同じところを何度も何度も弄られたような痛々しい痕ばかりじゃないか!なんでこんな風に洋の躰を埋めつくすような痕をつけるなんて! こんなひどい扱いを誰に受けたんだ?相手は女じゃないと直観した。これはまさか……まさかとは思うが……誰かに犯された痕なのか。
そう思うとすべて結びつく。歩道橋で今にもそこから飛び降りそうな、消え入りそうだった洋の様子。この衰弱しきった躰……全てが結びつくじゃないか!一体誰だ!まさか、あの丈って奴が無理やりに洋を手籠めにしたのでは?
怒りに震えてくる。
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