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邂逅 13
「大丈夫だよ。俺は少し眠りたいし」
「そうか、この家から絶対に出るなよ。すぐに戻るから。あとでゆっくり話そう」
「大丈夫。君は俺だから……俺は信じてここにいる」
彼は静かに微笑んだ。彼の微笑みは白百合の花のように清楚で可憐だった。
****
湖から突如現れた青年を家に残して、俺達はkaiが運転する車に乗り込んだ。
道路に溜まった雨水を高く撥ねさせながら、車は真っすぐに願恩寺へ向かって行く。雲の間からどんどん明るい陽射しが生まれ、それが車中の奥深くまで射し込んで、黄金色の光に俺達は包まれた。
「……」
俺は興奮して、言葉が上手く発せないほどだ。緊張のあまり手も震えてしまう。
「洋……大丈夫だ」
その手を隣にいる丈がぎゅっと握ってくれる。温かくて落ち着く……こんなこと前もあったな。
逃避行の始まりの飛行機の中だった。丈が握ってくれると、それだけで勇気が沸いてくる。こんな非現実な出来事の連続だって、丈とkaiとの不思議な出会いの重なりを考えれば、素直に受け入れられる。
「洋、もうすぐ着くぞ」
「了解!」
大きな展示場の向かいに寺院の大門が見えてくる。大仏像は寺院の一番奥にあるはずだ。
本当にそこであってるのか。そこが過去と現在を繋ぐ天門なのか。ヨウ将軍からの手紙を信じるしかない。駐車場に車を停め、俺達三人は全速力で走った。雨上がりの水たまりを飛び越え、階段を一気に登り大仏像の前に辿り着いた。
「ここだ! ここにやって来る! 」
「もうすぐ! 」
「見上げれば、逆さ虹が出ているはずだ! 」
三人で一斉に空を見上げた。
雨上がりの澄んだ空には※『逆さ虹』がくっきりと浮かんでいた。まるで大空を駆け抜けるように!
※逆さ虹…頭上の天頂より太陽側に、太陽に凸に現れる虹色の弧が環天頂アークのこと。 環天頂弧、天頂環、天頂弧などの呼び方もあります。 また下に凸の虹色の弧なので、逆さ虹、という異名もあります 。非常に珍しい気象現象。
「逆さ虹だ!」
「本当に言い伝えの通りだ」
「もうすぐ来る!」
これは、まさに※天翔る(あまがける)虹だ!
※天翔る…神や人などの霊魂が空を飛び走る
神々しいまでのその虹に身震いがする。その時、頭の中に湖から現れた青年の顔が浮かび、俺の口から勝手に和歌が零れ落ちた。
久方の 天つみ空に 照る月の
失せなむ日こそ 我が恋止まめ
意味……空から月が無くなる日でも来ない限り、 私があなたを思う気持ちがなくなることはありえない (万葉集・詠み人知らず)
えっ……こんな歌、知らないのに……どうして勝手に? でも、とても力強い歌だ。
俺の目に次から次へと涙が浮かんでくる。湖の湖面のように俺の目は潤んで行った。
湖の青年を失った丈の中将の悲しみ。
ジョウを失ったヨウの悲しみ。
歌と共に募る悲しみが大きな塊となって俺に届いた。
そうだ! 月がなくなる日なんて来ない!
君達が失った人は、きっと月のようにお互いにとって……なくてはならない大きな存在だったはずだ。古代からずっと俺達を見守ってくれている月と同じ位、君達の想い、情愛は深いものだった。
俺は今からその悲恋の運命の時間を弄ることになるかもしれないが、それは運命に弄ばれてしまった君たちが本来あるべき世界へ戻すだけなのだ。
(案ずるな。間違っていない)
そんなヨウ将軍の声が、さざ波のように俺に届き、勇気をもらった俺は、もう一度今度は大きな声で和歌を詠む。
「久方の 天つみ空に 照る月の 失せなむ日こそ 我が恋止まめ」
それは、まるで天門の扉を開ける呪文のようだった。和歌を詠み終えた途端に大仏像の足元に金色の光が集まり、まるでトンネルのように光は輪を作り輝いた。
「来た!」
「本当に……」
眩い光に包まれた中に、古代の民族衣装のような着物を纏った赤い髪の女性が少年を横に抱いて、真っすぐにこちらを見て立っている。
毅然とした眼差しに、使命をもってここにやってきたことを痛いほどに感じることが出来た。
「良かった……会えたね」
驚きというよりもほっと安堵した。
遠い昔の君の願いは、ここまでちゃんと届いた! 己の胸の月輪を握りしめ、祈るように願い、そして誓った。
届け!この想い!
俺が君の願いを今受け止めたことを、悲しみに沈む彼に届けてくれ!
信じろ! 待っていろ。
俺達がなんとかする!
必ず君たちをもう一度微笑ましてやりたいから!
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