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時を動かす 3
ー海神(わたつみ)の豊 旗雲(とよはたくも)に入日射し 今夜の月夜さやけかりけりー
考え込んで固まっていた俺の手を洋月がそっと握り、和歌を口ずさんでくれた。
「なんだか元気が出る歌だ。えっと……どういう意味なの? 」
「洋、これは万葉集に載っている、中大兄皇子が詠んだ歌だよ。君の時代にも通じる? 」
「あぁ分かるよ!」
「良かった。斉明天皇時代の新羅遠征時に、中大兄皇子が播磨の国を船出する時に、土地の神への祈願に詠まれたそうだ」
「そうなんだ」
「歌の意味はこうだよ」
ー海の神がたなびかす大きく美しい雲に、今まさに夕日がさしている。今夜の月はさやかに照るにちがいない。ー
「洋、君の決断は間違ってない。応援している、祈っている。この気持ちにぴったりの歌だから……君に送るよ」
「ありがとう、毅然としていい歌だ。大きく一歩踏み出す勇気をもらったよ」
まさに小高い丘の上の一軒家には、橙色の夕日が射し込んでいる。
空を見上げれば、夕焼け色に染まった大きな雲がたなびいている。
今日は抜けるように清々しい良い天気だったから、夕焼けも綺麗だ。
きっと今宵は星がよく見え、月からは透明な光が眩く降り注ぐだろう。
俺は行く。
もう逃げない。
これは戦うのではない。
俺の現実と向い合うために渡米する。
****
その日は丈の部屋で帰りを待っていた。とにかくまず彼にきちんと話さないといけない。俺の決断を許してくれるだろうか。無謀なことをすると怒るかもしれない。
遅い帰りを待ちわびてベッドに潜り込むと、ふわっと丈の匂いに包まれ、それだけで心が安らぎを感じ、ほっと安心できた。
「ただいま」
「お帰り、遅かったな」
「あぁ今後の治療方法を考えていたんだ」
「王様の治療は順調か」
「大丈夫だ。化学療法が良く効いて効果が出始めている。思ったより治療は短く済むかもしれない。彼は治るよ。だがここ2週間ほどが治療の山場だ」
「そう! それなら良かった」
「洋は……なんだかあまり元気ないようだが」
「うん……実は……」
躊躇する俺の様子をみて、丈が心配そうに俺の隣に腰かけてくれる。
「話してみろ。洋が不安に思っていることを」
「んっ……あの……これを偶然見つけて」
俺はそっとプリントアウトしておいた日本のニュースを丈に見せた。
「これはっ」
「俺……変なんだ。あんな奴二度と会いたくないって思っていたのに、何故だか今会いに行かなくてはいけない気がしてたまらない。俺……おかしいか、馬鹿か」
「洋……自分をそんなに責めるな」
話しているうちに興奮してしまった俺のことを、ぎゅっと丈が胸に抱きしめてくれた。
「心配するな。洋は間違ってはいない。何があったとしても……洋にとっては残された肉親でもあるんだ。血はつながっていなくても、何をされたとしても……それは洋にとっては変わらぬ事実だろ」
「俺、決してあいつがしたことを許したわけじゃない。俺の大事なものを無理矢理奪ったのはあいつだから。でも、なんだかここがおかしいんだよ! 心臓が痛い! 」
「洋、落ち着け」
丈がさらに俺を強く抱きしめ、髪を撫でてくれた。ゆっくり大きな手で何度も、何度も。
「丈すまない。俺、丈がいてくれることに甘えすぎているのかもしれない。洋月にもこんな気持ちを早く味わって欲しい。遠い過去でジョウを想い涙するヨウにも早く笑って欲しい。そんな気持ちがあふれ出て苦しい。今、過去からの人が集結し、全てが揃っているようで何かが足りないのは、俺の強い心だと思う。逃げないで現実と向かいあわないといけないと最近強く思うんだ」
「大丈夫だ。洋、分かるよ。その気持ち。洋……迷わなくていい」
「丈。このタイミングで降りかかってきた義父のこと。過去の因縁を断ち切るためにも、俺は行かなくてはいけない。そう思うんだ。俺がアメリカへ再び行くことを許してくれるのか」
「……それは……」
長い長い……沈黙だった。
丈の中で葛藤があるのが十分伝わる時間だった。やがて丈は苦し気に口を開いた。
「洋の人生だ。洋が切り開かないといけないのは分かる。だが私は今王様の治療が山場でついて行けないのが苦しい。だからせめてkaiと一緒に行ってくれないか。一人では行かせたくないのが本音だ」
「いいのか……俺……丈に心配かけるって分かっているのに」
「行って来い。そして必ずここに戻ってこい」
再び丈の逞しい胸の中にすっぽりと抱きしめられたので、堪え切れず俺の方から丈の唇に口づけした。
誓いを込めた約束のキスだ。
「ありがとう! 必ずここに戻ってくる」
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