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時を動かす 7

「なぁ洋、今日も病院へ顔を出さないつもりか」 「すまない。俺……まだその覚悟が出来ていない。それで義父さんの様態はどうだった?」 「変わりないよ。相変わらず意識が戻っていない。医師の人たちもずいぶん心配してるよ」 「そうか……」 「そういえば親父さんの会社の秘書の人とあってさ、意識が戻らないことを随分心配していたよ」 「そう? そんな人がいたんだね」 「だが俺たち……もう滞在できる日も残り少ない。そろそろ覚悟決めろよ。会うか会わないか、どの選択でも俺は何も言わないから、なっ」 「うん……分かってはいる」  あれから数日経ったのに、俺はまだ義父の面会に行けずにいた。まったく……どうして動けないんだ。俺はここに立ち止まっていてもしょうがないことは、分かっているのに。 「今日、俺さ、ホテルの海外研修でお世話になった人に会いに行ってきてもいいか」 「あっもちろんだよ。kaiにはずっと俺の用事に付き合わせてしまって悪かったな」 「んーでも心配だな。洋を一人で置いていくの」 「なっ俺は子供じゃないよ!」 「だが、俺が傍にいなかったらさ、こっちであっという間に危ない奴の餌食になっていたぜ」 「そんなことない!」 「やれやれ~お前気がついてなかった? 全部そういう眼から俺がガードしていたんだぞ。カフェでも飛行機でもさっ。いや~洋は本当に男にもてるんだな。感心するほどだったぞ!」 「おっ俺はそんなこと知らないし……そんなのちっとも嬉しくない!」 「ははっ、とにかく俺の留守中に一人で外に行くなよ、心配だから!分かったな」  kaiは俺の頭をくしゃくしゃと撫でて出かけていった。 ****  ふぅkaiは夜まで戻らないというが、大人しく言われた通りこの狭いホテルの部屋で1日過ごすというのは窮屈すぎる。  窓の外を見ると秋空が広がる街の風景がキラキラと眩しく、俺は外の空気を思いっきり吸いたくなってしまった。  そうだ!あの※サウス・フェリーに乗りたい。  昔よく時間を潰したあの船に乗ってスタテン島まで往復してみよう。船から眺めるマンハッタンの街並みが目を閉じれば鮮やかに蘇ってくる。 ※サウス・フェリー  マンハッタンとスタテンアイランドを結ぶフェリーのこと。オープンデッキからロウアー・マンハッタンのビル群やブルックリン、そして自由の女神を一望できることから、観光客にも大人気のフェリーです。走行時間は約25分でゆっくりと眺めを楽しむことができます。                        (安志編※ 面影 7参照) (一人で外に行くなよ)  kaiに言われた言葉がひっかかったが、俺はもうあの頃のような子供でもない。あの頃のようにキャップを目深にかぶりラフな服装に着替て外出した。メトロを乗り継ぎ船の発着するサウス・フェリー駅に無事に到着した。  誰も俺のことは見ていない。  これなら大丈夫そうだな。  懐かしい。  この船も海の匂いも変わらない。この椅子に座って何往復も時間を潰していた俺。  高校時代も大学時代も……ここで大半の時を過ごした思い出の場所だ。客船内の椅子にもたれ目を閉じて波に揺れに身を任せていると、遠い日のことが、次々と思い出される。  実父の記憶は朧げだ。俺が六歳の時、交通事故で亡くなったと聞いている。母が再婚する時、何故か父の写真を全部焼き捨ててしまったから、実のところもう顔もあまり思い出せない。  母は女手ひとりで俺を育てるのに苦労したのだろう。小学校から帰ってくると母がぐったりと床に伏していることが多くなって、心配になったものだ。母が義父と再婚したのは俺が十一歳の時。どういう経緯で義父と出逢ったのかは分からない。  ある日突然母から「崔加さんという男性と再婚することになったから許してほしい」と言われた。  俺は心底ほっとした。  反対なんてする必要もなかった。  これで病気がちな母を守ってくれる人が出来た。  俺のことも守ってくれる頼りになる存在が出来たと喜んだ。  最初は幸せだった。義父も幸せそうな顔をしていた。母もやっと肩の荷が下りたように、元気になっていったから。  母が生きている頃は、今考えると幸せな人並み以上の暮らしをしていたんだな。  義父はその頃から大きな事業をしている社長であって、金銭的にも裕福だった。  夏休みは軽井沢の別荘で1か月に渡り避暑をした。白い日傘をさした母は儚げな雰囲気を漂わせてはいたが少女のように美しく義父はその母を優しい瞳で見つめ、庭でBBQを振る舞ってくれた。少年だった俺はテニスや水泳、乗馬をして優雅に過ごしていた。  何も考えずに気ままに……だが、その幸せも長くは続かなかった。  俺が十二歳の時、母は癌を発病してしまい、一年間義父と必死に看病したのに逝ってしまった。  父はその頃から母の面影を俺に求め始め、俺は急激に義父と二人きりで過ごす時間が居心地が悪くなっていた。今から考えれば、あの頃は何をされたわけでもないのにな。  過去に思いを馳せていると、思わず涙ぐんでしまった。  その時一陣の強い風が吹いて、目深に被っていたキャップが飛ばされてしまった。 「あっ!」  キャップは風に舞い、甲板まで一気に転がって海に落ちそうになったところを、傍にいた体格の良い男が背伸びしてキャッチしてくれた。 「You know, please」(ほらっどうぞ)  その男がキャップを持って近づいてきたので、お礼を言おうと顔を見た途端、俺は飛び上がるほど驚いてしまった。だってその顔には見覚えがあったから!

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