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すぐ傍にいる 13

「安志……何処へ?」 「洋と二人で話せる所へ行く。今休憩時間だろ? 俺も少し時間を取って来た。だからちゃんと話そう」  化粧室で立ち話をしていると誰か入って来たので、安志にぐいっと手首を掴まれホテルの非常階段へ連れて行かれた。何階かのぼった階段の踊り場で、安志が立ち止まり俺の方を振り向いた。  あぁ……思いつめたような真剣な眼差しだ。 「洋、ここには誰もいない。俺と洋だけだ。話し難い事でも……昔みたいに一人で抱え込まないで、お願いだから俺に話してくれ」 「……」 「何かあったんだな。原因はあの重役か。打ち合わせから出て来てから顔色がずっと悪い。それに……」 「うっ」  安志の指が再び俺の唇の傷にそっと触れると、ピリッと痛みが走った。 「あの重役と知り合いだったのか。この傷はあいつに付けられたんじゃないか」 「なっ……」  はっ……参った。安志には俺が口に出さなくても、全て伝わってしまうのか。こんな風に二人で立っていると、遠い昔のあの日のことを思い出してしまうよ。  高校時代、こうやってロッカールームで襲われた俺を安志が助けてくれて、階段の踊り場まで手を引かれて連れてこられた。  あの日……俺は安志の想いに応えられなかった。だから、いつまでもお前に頼っては駄目なんだ。  ソウルにはあの重役のボディガードという仕事で、安志は来ている。もうお前に迷惑をかけたくない。もう俺のことで心を煩わせたくない。  俺なんかともう関わらず、幸せになって欲しい。  俺はお前を汚してしまう。だから無理だ。お前に頼るなんて……  俺は安志の眼を真っすぐに見ることが出来ず、俯きながら首を横に振った。 「安志……どうして分かってくれない。俺にもう関わるな。巻き込むことになる。もうお前を悩ませたくない」  安志の表情をそっと伺うと、苦し気に顔を歪ませていた。 「洋こそっ、どうして分かってくれない! 俺がなんのためにここにいると? 洋が一人で悩む姿を見たくない。俺になら話せるだろう? お願いだから話してくれ! 俺に今度こそちゃんと洋を救わせてくれ。またあんな目に遭ってしまってからでは遅いんだよっ! 」 「うっ……」  安志はすべて知っている。  あの日、義父に抱かれたショックで衰弱して歩道橋で倒れた俺を匿ってくれて、義父とのあの写真も見られてしまっている。  俺の過去の全てを知った上で協力してくれ、俺をあの世界から逃がしてくれたのはお前だった。  蜘蛛の糸に絡めとられたような俺に、一縷の望みを与えてくれたのは安志の行動力だった。  あの時の光。お前はいつも太陽のように暗黒の世界に堕ちた俺を救い出してくれる。  本当に本当に……いつもごめん。お前を巻き込みたくなかった。なのに……ごめん。  張り詰めていた糸がぷつりと切れる音がしたと思ったら、俺の両目から涙が溢れ嗚咽が止まらなくなった。 「うっうう……」 「洋……」  安志がほっとしたように優しく俺の名を呼び、抱きしめてくれた。そして小さい子をあやす様に、背中を何度も何度も撫でてくれる。 「洋……大丈夫だ。お前はもう一人じゃない。すぐ傍にいるから、一緒に解決しよう」  その優しい行為に誘われるように、涙が次から次へと溢れてきてしまう。そのまま俺は安志の胸に顔を埋め、そのまま泣きじゃくってしまった。 「安志……悪い……俺を……助けて欲しい」

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