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贈り物 15
ふぅ……もう行こう。ここにいると嫌なことばかり思い出してしまう。負の感情に負けてしまいそうだ。そう思って俺はあの日のように大輪の白百合を墓石の前に置いて、線香を焚いてお参りをした。
「母さん、元気だった? 父さんと離れ離れで寂しくない? 今、俺は近くて遠い国で過ごしているよ。ここに来るのは何年振りだろう。ずっと放っておいてごめん」
言おうかどうしようか迷っている言葉があった。
ずっと母に言いたかった。
こんな言葉を投げつけても、どうにもならないことを知っているのに…
「どうしてあの人と再婚したんだよ! 俺は母さんがいなくなってから辛かった、怖かった、嫌だったのに……っつ……」
頬を撫でる秋風に誘われるように、はらはらとあの日泣けなかった涙が零れ落ちた。
一度零れてしまえば、もう止まらない。
今は誰も見ていない。もう泣いてもいいんだ。
そう思うと次々に涙が溢れて来てしまった。
「うっ…う……」
嗚咽が喉にひっかかる。十三歳の俺。あの日に戻っていくように、子供みたいに泣きじゃくってしまった。思う存分泣いたら案外すっきりするものだ。気を取り直し、もう一度亡き母に告げる。
「母さん……俺、張矢 丈さんという男性と暮らしてる。二人で支え合って生きていくよ。俺達、男同士だけど、とても幸せなんだ。だからもう安心して……」
そう告白して、墓を後にした。
どこへ行こうか……もう、丈の元に戻りたくなってしまった。無性に丈に会いたくなってきた。丈が恋しいよ。ぎゅっと抱いて欲しい。
あぁそうか。もう黄昏時だ。こんなおぼつかない時間は心もとなくなるものだな。
会いたい人なのか。
会いたくない人なのか。
その誰かに会いそうな気配を感じてしまう。
ただ、あの日俺の腰をここで抱き寄せた人には、会いたくない。どんなに許そうと頑張っても、どんなに取り繕っても……それが本音だ。俺は心が狭い人間なのかもしれないが、しょうがない。
母の墓の前で思いっきり泣いたせいか、不思議と肩の荷が降りたように、すっきりとした気持ちになっていた。
****
「安志さん、次みたい」
「あっそうだな。思ったより道が混んでいたな。洋に会えるかな」
涼とこっそり繋いでいた手がぽかぽかになっていた。なんとなく離すタイミングを失って結局ずっと握り合っていた。
涼の顔をちらっとみると、少し赤くなっていた。上気した頬が可愛い。
メモに書かれたバス停で降りると……ちょうど黄昏時で視界が眩しく、目を細めてしまった。
墓は広大な緑の芝生が広がる敷地に転々としていた。一つ一つ確認しながら歩いていくと、程なくその中でもひときわ立派な墓石に『崔加家』の文字を見つけた。洋の姿は? っと焦って駆け寄ったが、そこには誰もいなかった。
ただ墓石の前に白百合の花がそっと置かれ清楚な香りを漂わせていた。これは……花のような洋を彷彿させる香りだ。
「洋はもう行ってしまったのか。すれ違ったかな」
「あっでも……安志さん、線香がまだついている。きっとまだ洋兄さんは近くにいるよ」
「本当だ。あぁきっと近くにいるな。急いで探そう!」
バス停からの道ですれ違わなかったから、この近くにいるはずだ。
「洋ー!」
「洋兄さんー!」
涼と手分けして辺りを探すことにした。大きな声で呼んでみるが、その声は静寂に吸い込まれていくようだ。
「安志さん、いた?」
逆方向を探していた涼が、息を切らして戻って来た。
「いや、こっちにはいなかった」
「そう……あっちにも姿はなかった」
なんだか不安になる。黄昏時のせいか。こんなおぼつかない気持ちになるのは。
その時、草むらの間からキラキラと水面が夕日を受けて輝いている川が見えた。川か……あっ……もしかして土手があるのか。何故なら俺と洋の家の間にも似たような川があって、洋は家に真っすぐ帰らないでよく川沿いの土手に座っていた。
あの日も……また次の日も。
****
「洋、道草を食わないですぐに帰れよ」
「うん、分かってるって。安志また明日な、バイバイ」
そう言うくせに、絶対またあそこに座ってる。そう思って一旦家に戻った俺は、もう一度洋と別れた土手に向かってみた。
「やっぱり。まだ居る……」
夕焼けに染まる土手に、洋が膝を抱えて座っている。もう寒くなってきているのに学ランのまま、家にも帰らず。
寂し気な洋の背中。横顔。今すぐ駆け寄って抱きしめたくなる儚さ。男のくせに……どうして洋はいつも…俺をこんな気持ちにさせるんだよ。なんだか、むしゃくしゃした気分になってくる。
近寄ってポンと洋の肩を叩くと、洋がきまり悪そうに見上げて来た。
「安志……」
「洋、また風邪ひくぞ」
「んっそうだな」
「やっぱり家居心地悪いのか。その……義理のお父さんとうまくいってないのか」
「……いや……大丈夫だよ」
「そうか」
本当は大丈夫じゃないって顔しているくせに、強がりな洋。でもだからといって、まだ中学生の俺には何もしてやれないのがもどかしい。家から持ってきた板チョコを取り出して、二つにパキンと割って洋に渡す。
「食えよ」
「いいの?」
洋が甘い笑顔を浮かべてくれる。
「んっチョコ好きだろ?」
「うん、好きだよ」
微笑みながらチョコレートを洋は指でチョコレートをさらに小さくして、ひとかけら口に放り込んだ。洋の細い指先と綺麗な形の唇に吸い込まれたチョコレートの甘い香り。そんな光景を横目で見ていると、ドクンと心臓が鳴った。
「甘い。元気でるな、これ」
「あぁ良かったよ。何か家で困ったことがあるなら話せよ。聞くくらい俺にも出来るからさ」
「ありがとう。安志……うんそうするよ」
嘘だ、いつも何も言わないで我慢しているくせに。いつか……強がりな洋が俺に弱音を吐ける日が来るといい。洋一人で抱えられない時は頼って欲しいよ。
そんな切ない気持ちで夕焼け色に染まっていく空を見上げた。
空はどこまでも高く澄んでいた。
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