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隠し事 16
「えっ……」
急ぎの仕事を片付け駆けつけた雑居ビルのロビーで、僕は見てはいけないものを見てしまった。まさか陸があんなに憎んでいた相手に、キスをするなんて思いもしなかった。
僕が来るまでに、一体二人の間に何があった? 陸のキスを生で見るのは初めてのことじゃない。女性としているのは何度も見たことはあった。だけど……いくら洋くんが涼くんそっくりの美人だからといっても、男じゃないか。それもずっと憎んでいた相手だ。
それに陸は男にキスできる人間だったのか。一体どういうつもりなんだよ。
そのまま暫くの間、茫然自失してしまった。
****
雑居ビルの前からタクシーに二人で乗り、再び陸のマンションにやってきた。
「陸……なんでさっき……あんなことを?」
「なんだよ空、見ていたのか」
「……まぁね」
「俺だって最初はそんなつもりじゃなかった」
「そうか……」
なんとなくお互い気まずく黙りこくってしまったので、話題を少し変えて続きの言葉を促してみた。
「なぁ……さっきの洋くんのあの顔の傷って、あのもう一人の男性が殴ったのからなのか」
「あぁ、あいつはサイガヨウの親友だってさ。必死の形相で参ったぜ。まるで俺がサイガヨウをレイプしたとでも思ったのか、憤慨して突然殴り掛かって来てさ。でもその時……何故かサイガヨウが俺を庇って思いっきりパンチ食らってた」
「そうか……可哀想に。痛々しかったな。彼の綺麗な顔が台無しだ」
「あぁ……血が派手に出て、俺を庇ってのことだったから流石にちょっと痛々しくて、思わずその血を舐めてやろうと思ったのさ。ほら、傷をよく舐めたりしただろう? あれと一緒のつもりが……俺なんであんなことをしたんだ?」
それは僕のセリフだ。僕が聞きたいよ。
「血……?あぁ口を切っていたね」
「なぁ……空、聞いて呆れるなよ」
「何を?」
「俺さ……あいつの血を舐めた時、これであいつと血が繋がったような気分になったんだ。我ながら何してんだって思った。その瞬間不思議な感情がわいて急に優しくしてやりたくもなった。だからなのか。キスするなんて……」
「お前、そんなこと考えていたのか」
「あぁ馬鹿だろ」
あぁ、やっぱりここにいるのは僕の知っている陸だ。
サイガヨウを見つけてからの陸の行動は、冷静さを失って心配するほどだった。
小学生の時に急に父親と理不尽な理由で別れなくてはいけなかった陸には、誰か恨む相手が必要だったのかもしれない。父を奪った同い年の義理の息子の存在を知り、その子が恨みの捌け口になってしまったのかもしれない。
陸は責任感がとても強かったから、お人好しの優しいお母さんに心配をかけないようにという思いも強かったのだろう。だから中学の時はクラスの優等生として、勉強もスポーツも本当に人一倍頑張っていた。
だが高校時代になって突然ガラリと雰囲気が変わってしまった。急に近寄りがたくなって素行も悪くなって。そんな陸が街で遊んでいるうちにスカウトされて、あっという間にモデルという世界に羽ばたいてしまった。もともと端正でエキゾチックな日本人離れした容姿とスタイルを持っていたから、当然といえば当然だったが……
手の届かない場所に行ってしまったかのように見えた陸だが、僕といる時だけはモデルのSoilではなく、素のままでいてくれたことが嬉しかった。
陸は本当はとても優しい。僕はずっと傍で見ていたから、それを分かっている。僕だけが知っていることだ。
「空……とにかく来てくれてありがとうな。さっきは俺、あいつにまさかキスなんてしちまって収拾がつかなくなっていたんだ…」
「……そうか、役に立てて嬉しいよ」
「それと気になることがあって。あの男がサイガヨウに向かって変なこと言っていたから」
「何て?」
「まるで俺の父がサイガヨウに何か良くないことをしたような。サイガヨウの俺に対しての怯え方や幼馴染の怒り方も尋常じゃなかったし……一体何だと思う?」
あぁそうなのか。やっぱりサイガヨウ……いや、洋くんは義理の息子として、ただ甘やかされて幸せに育ってきたわけじゃないんだ。僕のこういう勘はよく当たるんだよ、陸。
「そうか……僕も洋くんには何か辛い過去があるのではと感じていたよ。だから止めたんだ」
「あぁ今なら空が言っていた事少しは分かるな」
「僕が少し調べてみようか。陸のお父さんの現在……君が嫌がるから高校時代からもう追いかけるのをやめてしまったが…」
「……そうだな、頼むよ」
複雑そうな表情を浮かべる陸の端正な横顔を、ちらりとのぞき見して溜息が出た。
陸が洋くんへの想いに戸惑っているのが分かる。弟として捉えようとしているのか。それともまさか……それは考えすぎだよな。それにどうやら洋くんを守りたい男は沢山いるようだ。最後に登場した大人な男性、あの二人の関係も気になるしな。
「はぁ……」
ズキンと僕の胸の奥が痛くなった理由を知っている。随分前から陸のことを考えると込み上げてくるこの想い……これは一体なんだろう。ずっと陸のことだけを見守って来たこの想いに名前を付けるとしたら、なんとつけたらいいのか。この関係を壊したくなくて、いつまでも臆病になって封印している僕のこの気持ち。
さっき洋くんにキスしていた陸の端正な横顔が脳裏に浮かんできた。もう思い出したくない。なんで洋くんにキスなんてしたんだよ……もしもあれが僕だったら……
「どうした? 空、顔色が悪いぞ? なんだか今日はお前らしくないな」
黙りこくっていた僕の顔を陸が覗き込み、頬に心配そうに手を伸ばしてきたので、思わず身を引いてしまった。
そんな目で僕のことを見ないでくれ。気持ちが乱れてしまう。
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