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一滴の時 3
「お帰り、洋くん」
「洋くん、やっと帰って来てくれたな。寂しかったぞ! 」
月影寺の本堂に入るなり、翠さんの落ち着いた声と流さんの明るい声に出迎えられて、ようやくこの北鎌倉にちゃんと帰って来られたことを実感した。
「翠さん、流さんもありがとうございます」
「長旅で疲れただろう、丈っお前、なんで車で迎えに行かなかったんだ? 洋くん疲れた顔しているじゃないか」
「え……それは」
「お前、今日は洋くんを抱くなよ」
「なっ! 何言を言うんですか、流兄さんは全く! 」
流さんのおどけた拍子に、丈の方がタジタジだ。兄弟ならではの砕けた会話が、恥ずかしい反面、ほっとしてくる。そして俺もこの兄弟の一員に、もうすぐなれると思うと胸が高鳴って来るよ。
「さぁ父さんも待っているから、とりあえず中へ」
「そうですか。洋……大丈夫か」
「あぁもちろん、ちゃんと挨拶したいよ」
久しぶりにお会いする丈のお父さんだ。きちんと報告しよう。アメリカで片付いたことを。
奥の座敷で、丈のお父さんは座卓に座ってお酒を飲まれていた。
「丈です。只今戻りました」
「あぁ丈、洋くんは無事帰国したのか」
「はい、あのここに戻ってきました」
「おお、洋くん、お帰り。それで無事に書類はもらえたのか」
「はい」
「それは良かった。ならば、丈、明日、弁護士の先生のところに行って手続きを進めなさい」
「ええ、そうします。少しでも早く…」
「そこで洋くんに相談なんだがね」
改まってなんだろう。丈のお父さんに何を言われるのだろうと……緊張が走る。
「そのだな……養子という戸籍上の扱いにはなるが、私の中では、君たちが結婚するということに変わりない」
「はっはい」
お父さんの口からはっきり『結婚』という言葉を聞くのは初めてで、どうにかなりそうな程恥ずかしくも、嬉しくもあった。
「だから、君も祝福して欲しい人をここに呼ぶといい。ここでごくごく内輪に式を行おうと思うのだが、どうかね?」
「えっ! そんなことをしてもいいのですか」
「当たり前だよ。丈、よくサポートしてあげなさい。さぁ今日は洋くんも時差もあって疲れているだろう、早く休ませてあげなさい」
「わかりました」
「丈、そのだな……コホンっ今日は洋くんに余計なことをするんじゃないよ」
「はぁ……父さんまで」
丈はあきれ顔だったが、俺はそんな二人の会話をニコニコと聞いていた。
本当にこの寺の人たち、丈の身内の人たちは懐が深い、温かい。
****
離れにある俺達の部屋に戻って来た。
その昔お茶室に使われていた名残のある日本家屋。四畳半の小間と広間の二部屋が繋がってゆったりしていて、本堂のある母屋とは長い渡り廊下で繋がっている。少し傷んだ畳も、色褪せた襖も……なにもかも懐かしく愛おしい。この部屋は俺たちが住むまで空き家になっていたそうだが、今は俺たちが主人だ。
こんな場所に俺達だけの空間を持てるなんて本当にありがたい。籍を入れた後もずっとここに住みたい。
「さてと、洋は疲れているから座っていろ」
「うん」
丈が俺のために手際よく布団を敷いてくれていた。
「洋、寝る前に、風呂は入るだろう? 」
「うん、流石に入ってから寝るよ」
「じゃあ、私と一緒に入ろう」
「え? 」
何を言い出すのかと思ったら……おいっ風呂は母屋にあるの知ってるよな。
「それは無理だよ!!」
「おいおい今日は何もしないぞ。散々兄さん達に釘を刺されたしな。私は、洋の躰が無事か医師として見たいだけだ。無事かどうかを隅々までな」
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