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太陽と月3
休日の昼前だ。近くに出来たパスタ屋さん行こうと約束していたので、俺は涼の家へ向かって歩いていた。
「しかし暑いな~」
そろそろ梅雨明けしそうな勢いの陽射しを浴びながら、軽い足取りで坂道を上っていた。
涼の住むマンションは、駅から真っすぐ坂道を登りきった所にある。歩道の右側には緑葉樹の茂みがあり、その向こう側には小さな公園があった。ちょうどその公園あたりに差し掛かった時だった。
「ふぅーやっと日陰だ」
ふと公園の方を見ると、こんな暑い日に若い青年が一人でベンチに座っていた。少し俯いてぐったりした様子なのが気になって目を凝らして、はっとした。
あっ……あれは洋じゃないか! 見間違えるはずがない。あのほっそりとした躰つきも俯いた綺麗な形の頭も、みんな遠い昔から俺が知っている幼馴染の洋の姿。
「洋! どうした?」
声を掛けるとすぐに俯いた顔をあげた。少し驚いた表情で少し青白い顔色をしていた。日陰といっても蒸し暑く虫も多いところだ。洋がいつもの貧血を起こす前に、涼しい所へ連れて行ってやらないと。
「ほら、行こう」
洋の持って来た重たそうな荷物を担いで一歩歩いた所で、後ろから付いてくるはずの洋が突然ぐらりと揺れて倒れ込んで来た。
「おいっ! 大丈夫か」
しまった! 洋の奴こんなに具合が悪かったのならば、ここでもう少し休ませるべきだったと後悔した。
「ん……気持ち悪い……頭…いたい」
目をぎゅっと瞑り、俺にもたれるように倒れ込んで来た洋の両肩を咄嗟に支えてやった。相変わらず薄い肩だ。洋の華奢な躰は、健康的な涼とは全く違うことを実感する瞬間だった。
「洋、大丈夫か。とにかくここに座れ」
「ん…」
「ほら肩乗せろよ」
「……でも」
「遠慮するな」
「ごめん……いつも」
「まったく通りかかったのが俺だったから良かったけど」
「ん……安志で良かった」
はぁ……全く俺じゃなかったらどうなっていたか。洋は相変わらず危なっかしい。それにしても何だってこんな炎天下に、洋を一人で来させたんだよ。丈さん!
「丈さんは? 」
「駅までは送ってくれたんだ……今日は当直で」
「ふーんそっか。そうだ、ほら水飲んで、ちょっと待ってろ」
洋の恋人の丈は外科医で多忙だ。それに洋も随分しっかりして来たのだから、俺があれこれ気にしすぎなのは分かっている。でももうなんだか最近の俺は、まるで洋の保護者のような気分なんだからしょうがない。
近くの蛇口で、ハンドタオルを絞ってやった。それからクーラーボックスから保冷剤を一つ取り出し、冷やして洋の額に当ててやる。
「あぁ冷たい。気持ちいいな」
洋は少しほっとしたようで、俺の肩にもたれて一息ついた。
ここは、とても静かだ。
茂みの先の車の音も、人の話声も、どこかとても遠くに感じる。まるでここだけ異世界のような静けさの中……洋と俺は、ゆらゆらと漂っているような不思議な気持ちになっていた。
「洋、日取りが決まったのか」
なんとなく……今日、洋はそれを伝えに来たような気がした。日取りとは丈さんの家の籍に入る。つまり同性同士の結婚式を挙げる日のことだ。
「うん、七月七日に鎌倉の月影寺で、安志……来てくれるか」
そうか……うん、洋の口から直接聞けて良かった。
同時にぎゅっと胸が締め付けられた。
とうとうこの日が来てしまったのか。
もうとっくに前へ進んでいる、それぞれの道を歩んでいる俺達なのに、思い出というものは記憶から消えることはない。
幼馴染以上の感情。
当時の俺が洋に抱いていた気持ち、甘酸っぱい気持ちが途端に疼き出してくる。
「もちろんだよ。そっか、いよいよだな」
「安志……」
なんとなく気まずいが、なんとなく懐かしい雰囲気だった。
二人きり、初夏のベンチで過ごす僅かな時間。
これも洋と二人きりの大切な思い出の一つにしてもいいか。
「洋……幸せになれよ」
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