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花の咲く音 3

「良かった! ぴったりだな。似合っているよ」  流さんに背中を押され、姿見の鏡の前に連れて行かれた。 「あっ……」  鏡に映っているのは、本当に俺なのか。まるで遠い昔この寺で過ごした夕凪という青年の顔が映っているようだった。そんな思いが立ち込め、思わず息を飲んでしまった。 「洋くんどうした? 」 「あ……いえ、着心地が良くて驚いて」 「そうかそうか」  この間見せてもらった夕凪が作った着物は、流さんの計らいで見事な略礼装へと仕立てられていた。実際に袖を通すと白羽二重の裏地が滑らかで肌に吸い付くようだった。  描かれた白き花。  この花の名前を俺は知っている。  花の白と花弁の淡いグリーン、葉の濃い緑が印象的なとても清楚な花は、※オーソニガラム。滑らかな絹地に咲いた白い花は本当に夜空に煌く星のよう。そしてこの繊細で清らかな絵柄を描いたのは、かの人……夕凪だ。  花の輪郭を辿る様に指先をすぅっと動かすと、やはりどこか遠くの世界へ繋がっているような錯覚を覚えた。そういえばこの白い花を、俺はまだこの寺で見つけることが出来ないでいた。 「流さん、あの……」 「なんだい? 」 「寺の庭で、この絵柄のモチーフの白い花を見たことがありますか」 「うん? 」  流さんがしゃがみ込んでじっと着物の絵柄を見つめた。 「あぁ、これはちょうど今頃、寺の竹林を抜けた先に咲く花と似ているな」 「本当ですか」 「ん、よく似てる。だけど今日はそこには行くんじゃないよ」 「えっなぜ? 」 「あそこは整備されていなくて足元が悪いし、結婚式前日に転んで顔に傷でも作ったら大変だろう」 「そんな! 酷いです。でも本当にこの寺の庭は広い。まだまだ行ったことはない所ばかりだ」 「まぁな、これからおいおい案内してやるよ」 「ぜひ! 」  丈にもこの姿をすぐに見せたいが、それは明日の楽しみに取っておこう。俺も丈が父の紋付き羽織袴を着てくれるのが、楽しみで仕方がない。きっと丈の男らしさを黒地の着物が、ぐっと引き立てることだろう。 **** 「涼、本当に今から行くのか」 「うん、だって結婚式前日だよ」 「いや、だから……それってお邪魔じゃないのか」  明日の日曜日は、洋が張矢家の養子となる日。まぁ実際に役所に行くのは翌日だそうだが。 とにかく丈の希望だ。洋に縁がある人達に書類に署名するのを見届けて欲しいということだったので、俺達の間ではその日を「結婚式」と呼んでいた。  今日は涼と横浜で買い物をして、そのまま涼の家に寄った。買い物の目的は結婚祝いだった。俺達は最新のコーヒーマシーンを選んだ。カプセルで淹れる珈琲は香りもよく美味しかった。何よりもマシーン自体のフォルムが優美な曲線を描いており、メタリックな洗練された雰囲気が、二人によく似合うだろう。  考えたら洋は元々大人びたところがあったが、丈さんの影響か、ますますこういう洒落たものが似合うようになってきた。 「お邪魔なんかじゃないよ。僕は身内だから……今日は洋兄さんの傍に付いていてあげたいんだ。安志さん、これ明日持って来てもらえるかな」 「あ? うん。分かった」  にっこりと甘く微笑む涼に、俺はかなり弱い。言いつけを守る犬のように、気が付くとしっかりと頷いていた。うーん、まぁ親愛なる洋のためだ。今日涼と過ごそうと思っていた甘い夜はぐっと我慢してやろう。 「ありがとう。それと……今夜はごめんね」  涼が背伸びして、俺の頬にちゅっとキスをしてくれた。その仕草に萌えて、このまま押し倒したい、やましい心を静めるのに必死だ。がっついているみたいで恥ずかしいが、涼と相思相愛になってからの俺は、こんなにも腑抜けだ。でもこんな状態に感謝している。  もしも……もしも涼と出会っていなかったら、俺は今頃どうしていただろう。洋の結婚式に、心から喜んで参列できただろうか。あの時丈さんの元へ送り出したことを、いつまでも後悔していたかもしれない。  洋とそっくりなのに、洋とは全く違う涼。あのタイミングで出会ったのは、偶然なんかじゃない。贈り物のようだった。  とにかく涼はもう、俺にとってかけがいのない存在になっていた。    俺もいつか洋のように、涼と共に暮らしていきたい。そのために越えなくてはいけないハードルはまだ沢山あり高いだろう。焦らず焦らずだ。そう自分をいつも諫めている。  涼の唇に軽くキスをして、栗色に輝く髪をくしゃっと撫でてやった。 「じゃあ明日会おう! 気を付けてな。洋の親族はもう日本には涼しかいないんだから、洋の結婚前夜だ。リラックスして過ごさせてあげてくれよ」 「安志さんありがとう。本当に分かってもらえて嬉しいよ。大好きだよ」  そう言って、今度は涼の方から再び背伸びしてキスをしてくる。    んんん、甘い。甘すぎる。 「おい! もう駄目だ。行けなくなるだろ」 「んっごめん。僕もこれじゃいけなくなるね」  唇を離した涼が、魅惑的にくすっと微笑む。  綺麗な薄い唇、その間から微かに見える可愛い前歯。  若々しいしなやから躰つき。きゅっとした小振りなヒップライン。  俺は何重もの我慢を重ねて、駅のホームでじっと見送った。 「明日! 明日な」 **** ※【オーソニガラム】オーニソガラム花言葉・Star of Bethlehem 「purity(純粋)」「reconciliation(和解)」「hope(希望)」 花言葉の「純粋」は、オーニソガラムの清楚でけがれのない花姿にちなんで。 茎の長い種はウェディングブーケにも用いられます。  再び物語は深く「夕凪の空、京の香り」とリンクしていきます。

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