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花の咲く音 6
「涼! 」
「洋兄さん! 」
「えっ! 同じ顔? 」
三人の驚きの声が同時に重なった。車で追い抜かした少年はなんと涼だった。
「流さん……この子は俺の従兄弟の涼と言います」
「あぁそうか。話には聞いていたが、まさかこんなに似ているとはな。ほら乗ってもらって」
「あっはい!」
慌てて車から降りると、涼がにっこりと笑っていた。
「よかった! ここで会えて。ちょっと道が不安だった」
「どうしたんだ? 来るのは明日だって安志が言っていたのに」
「んっでも今日来ちゃった。会いたかったし」
「全く涼にはいつも驚かされるな。乗って……あっこちらは丈のすぐ上のお兄さんの流さんだよ」
「わ……本当だ。丈さんに似ているね。あの……洋兄さんの従兄弟の涼です。よろしくお願いします」
「ははっ、礼儀正しいな。しかもすごい可愛い子ちゃんだ。さぁ乗って」
****
寺に着いて、翠さんに挨拶した後、とりあえず涼を離れに案内した。ずっとアメリカで暮らしてきた涼には、古い寺の重厚な雰囲気が珍しいらしく、キョロキョロと辺りを見回していた。
「へぇ…ここが洋兄さんの住んでいる家かぁ。すごく新鮮な気分だよ」
「家っていうか……うん、そうだ。ここは俺の家だ。ここをリフォームして丈と暮らしていくよ」
「いいね、そういうの」
「でもなんで突然来たの? 」
「だって結婚前夜だから」
「結婚前夜? 」
「うん。昔ね、何かの映画で観たんだ。結婚前夜は親や兄弟、親戚たちと共に過ごす時間なんだって。この世に生まれてからここまでの思い出に浸りながら過ごす大切な時間だと。だから……その」
「涼……」
十歳も年下の涼がこんな心配をしてくれるなんて思いもよらず、驚いた。同時にじわっと心が揺れた。思わず言葉に詰まり無言になってしまった俺のことを、涼が少し不安げに見つめて来た。
「あの……僕……差し出がましいことをしたかな」
「いいや違う、嬉しくて」
「兄さん、実は僕は本当は少し寂しいんだよ、兄さんが遠くに行ってしまうような気がして」
「馬鹿だな。俺は俺だよ。何も変わらないのに」
「でも、やっぱりなんか寂しい」
「涼がそんなこと言ったら、俺まで寂しくなるだろう」
可愛いことを言う涼の躰を、包み込むように優しくハグした。俺の可愛い従兄弟の涼。あの船で出会ってから、ここまで繋いでくれた縁だけでも充分だ。俺は涼に沢山のことをもらった。あの頃の俺には、涼という無垢な温もりが必要だった。フェリーの上で共に過ごした時間に想いを馳せれば、胸が熱くなるよ。
「ふふっごめん。でも僕が十歳の時、あの船で出逢ってから僕たちは兄弟も同然だったから」
「そんな風に思ってくれてありがとう」
父も母も……とうの昔に亡くなっている。日本に近い身内もいない俺だから、結婚前夜を映画のように感傷的に過ごすつもりは毛頭なかった。なのに年下の従兄弟が、こうやってそれだけのために駆けつけてくれた。その気持ちだけでもう充分過ぎるよ。
「あのね、実は洋兄さんに手紙を預かってきたんだ」
「え……一体誰から? 」
「んっこれ読んでみて」
渡されたのは白百合のエンボスが入った優しい雰囲気の白い封書。開封すると広がっていたのは……
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洋くんへ
いよいよ入籍するそうだね。本当におめでとう。
仕事の関係で駆けつけることが出来ず、すまない。
代わりに涼に、この手紙を託すことにしたよ。
ところで洋くんは、産んでくれた両親の願いを考えてみたことはあるかな。
『洋』という漢字に込められた想いが何かを想像したことはあるか。
それは、 広く大きな海を連想する名前だよ。入籍しても名は変わらない。『洋』という名は永遠だからね。
どうかこの先は丈くんと共に、大海原をどこまでも泳いで行って欲しい。
それから君は悲しみを経験した人間が、何よりも強い人だということを知っているか。そしてその悲しみを悲しみだけで終わらせなかった人間は、情の深い優しい人間になれるということを。
洋くんは、いつも人の幸せを願って生きて来た。
その生き方で間違っていない。
これからもそのままでいい。
君たちの門出を祝して、今度は私の方からも願わせてくれ。
幸せになって欲しい。
洋くんの父でもありたいと願う『月乃 』より
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手紙の文面に広がっていたのは、身近な人からの溢れんばかりの愛だった。
涼のお父さんであり、俺の伯父さん。
それはあのニューヨークで俺のことを息子だと言ってくれた人だった。
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