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完結後の甘い物語 『蜜月旅行 9』
「洋くん、先に行こう」
「あっはい」
暫く待っても、丈と流さんが更衣室から出てこない。確かに俺が手際よく着替える間、丈にしては珍しく、苦渋の表情で紐パンみたいな水着を握りしめていたもんな。
くくっ無理かなやっぱり。
流石に虐め過ぎたかもしれないな。
俺は丈には甘いのかもしれないが、だんだんと心配になってきた。
翠さんとパラソルを片手にビーチへ行ってみると、まだスペースは充分空いていた。流石ホテル専用のプライベートビーチというだけあって、この時間でも人がまばらだ。これなら本当にのんびりと人目を憚らずに、海を楽しめそうだな。
「洋くん、この辺りにしよう」
「はい! OKです! 」
きめ細かな粒子の砂浜に、パラソルのポールをぐっと差し込み、ぱっとパラソルを広げると濃い影が砂浜に広がった。そこに敷物を敷き一息つくと、俺の隣に翠さんも腰かけて、胸元のサングラスをさっとかけた。
サングラスなんて全く見慣れない姿なのに、すっとした鼻筋に綺麗な口元がより印象深くなるような感じで、よく似合っていると思った。
「翠さん、あの……俺、丈に可哀想なことしたでしょうか」
「えっ何故?」
「だってあの水着のこと」
「あぁ大丈夫だよ。僕の弟たちはそんなに柔じゃないよ。流も丈も、本当に忍耐強いよ」
「そうか、確かにそうかもしれませんね。それにあの翠さんの『なぁ駄目か』攻撃はすごい効力がありますしね」
「ははは、そうか」
「だって、あの流さんが手玉に取られているみたいで」
「ふふ、そんなことないよ。流は昔から僕には優しいからな」
そんな風に流さんのことを話す翠さんの表情は、とても柔らかかった。
俺と翠さんはどこか似ているような気がした。波長が合うのだろうか。ただ横に座っているだけで、とても静かで穏やかな気持ちになっていく。そんな気持ちを汲んでくれたのか、翠さんも似たようなことを言ってくれた。
「洋くんと僕はどこか似ているね。波長が合うっていうのかな。そうだ北鎌倉に帰ったら、一緒に写経をしないか」
「写経ですか」
「したことは?」
「いや、ないです」
「そうか。写経は平安時代ごろから、修行や病気平癒、先祖供養など祈りや願いを目的として始まったものだよ」
「えっそんなに昔から」
「うん、そうなんだ。写経は時代を越えて、道を求める人にとって大きな心の支えにってになっているからね。写経によって静かで落ち着いた時間というものを大切にすることを一層意識出来るし、祈りや願いを生活の中に活かしていく一つの証となるのだよ。洋くんも、この先いろいろ悩むこともあるだろう。そんな時のためにもぜひやってみないか」
「はい。俺もこの先の人生……やはり良いこともあれば悪いこともあると思っています」
「うん、人の人生は天気のようだからね。今日のように晴れ渡る日もあれば、どしゃぶりな日もある…」
「翠さんにも?」
「もちろんだよ。僕も……僕は最近は悩んでばかりだ。これで本当に良いのかと」
「何かあったのですか」
「え……」
不意を突かれたような表情の翠さんは、いつもよりも弱々しく見えた。
「翠さん、大丈夫ですか」
「あ……いや大丈夫だよ。流がそれで大丈夫だって言ってくれたから」
そんな曖昧な答えが返って来た。何か言いたいことがあるのかもしれないが、翠さんから話してくれるのを待とう。
そのまま俺達は静かに眼前に広がる海景色を見つめた。
とその時、突然背後で「きゃあああああ」っと甲高い歓声が聴こえた。
なんだろう?と不審に思い振り返ると、遠目でもすぐに分かった。
流さんと丈の登場だ!
それを見つけた女性たちの黄色い声。
男神のように逞しい躰の二人。
しかもほぼ全裸のような水着姿。
背が二人共同じ位高く筋肉質で鍛えられた躰なので、二人で堂々とそんな恰好で歩いてこられると、とにかく圧巻だ。
な……なんだよ。
悔しいけど、さっきまで破廉恥だと思っていた水着も、今はその肉体美を魅せるためのエッセンスのように調和して、圧倒的に決まっているじゃないか。
「おーい! 翠兄さん、洋くん~待たせたな」
流さんが、こちらを見つけて大声で手を振ってくる。すると一斉に流さんや丈を熱い視線で見つめていた女性たちが、俺の方を見た。
うわっ怖いっ!
冷たい視線を浴びて、恥ずかしい。
自分の貧相な体つきを見下ろして、穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだ。
ずるいぞっ丈!
これはないだろう。
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