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完結後の甘い物語 『蜜月旅行 18』
僕の背中に、日焼け止めを塗ってくれている流の手。
クリームがたっぷりとついた手によって肩甲骨を優しく撫でられ、背骨を辿り脇腹を抱くように擦られると、僕の中の何かがプツリと切れたような音がした。
「んっ……」
あ……駄目だ。変な声が出そうになり、慌てて呑み込んだ。
くすぐったいのに、心地良い。
流……? どうして、そんな風に触れるのか。
さっき抑え込んだはずの欲望が、また硬くなる兆しをみせて来たので、ぎょっとしてしまった。これ以上触れられたらサーフパンツ越しでも分かってしまいそうで、僕は途中でその手を逃れ、海に逃げた。
「流っもういいよ。それくらいで。先に泳いでくるから」
慌てて海水に浸かって、躰も頭も一気にクールダウンさせようとした。
「僕は今日はおかしい。おいっ翠しっかりしろ。今までのことを台無しにするつもりか」
口に出して、自分を責めてしまう。まさか弟の躰に欲情したなんて、絶対知られてはいけない。
こんな気持ち、早く捨ててしまわないといけない。
気が付くと、肩まで海水に浸かっていた。
いつの間にかだいぶ深いところまで来てしまったようで、足元がおぼつかない。
あ……まずい、早く戻らないと。
僕は泳ぎは得意ではないし、海で泳ぐのは二十年ぶりなんだ。
その時、前方に高波が見えた。
同時に流の叫び声も聞こえた。
****
俺は兄さんのもとへ急いで泳いだ。
兄さんは泳ぎが得意ではないし、海で泳ぐのなんておそらく学生時代以来じゃないのか。慣れていないから、きっと波にうまく乗ることが出来ないと思った。
小さな波のかけらがどんどん膨れ上がってくる。兄さんのいる所まであと少しという所で視界に入って来たのは、兄さんの背をはるかに超える大きな白波。
「兄さんっ! こっちへ」
まさに波を被る寸前の兄さんに向けて、俺は思いっきり手を伸ばした。
「流っ」
兄さんも俺の声に打たれるように、手を伸ばして来た。ぐいっとその手を掴むと同時に俺もバランスを崩して、波にもまれてしまった。
兄さんを抱きかかえたまま、海水の中で一回転二回転とクルクルと回った。とにかく翠兄さんの躰が傷つかないように、俺が身を挺して守った。
それにこんな機会でもないと、兄さんの躰を抱きしめられない!
「ゲホッ! 」
「ゴホッゴホッ──」
気が付くと大きな白波は砕け、元の穏やかな波に戻っていたので、頭までずぶ濡れの兄さんの様子を慌てて確認した。
「兄さん、大丈夫だったか」
「ゴホッゴホッ」
兄さんは海水を飲んでしまったらしく、暫く咳き込んでいた。俺はその背中をトントンと規則正しく叩いてやった。
「ハァ……ハァ…」
肩で息をしながら、呼吸が整ったところで兄さんとパチッと目が合った。
兄さんはその途端、泣き笑いのような微妙な表情を浮かべた。
「流ありがとうな。僕は相変わらず泳ぎが、からっきし駄目みたいだ」
「そんなことない。たまたま高い波だったから」
「はぁ驚いたよ。流が来てくれなかったら溺れていたね」
「どこも怪我していないですか」
「うん、大丈夫みたいだ。でもちょっと疲れたからあの岩場で休憩するよ」
兄さんが指さしたのは、丈と洋くんがいるだろうと推測した例の岩場だった。
うーむ……邪魔になるから近寄るまいと思ったが、非常事態だ。
丈、洋くん、頼む。許せよ。
「じゃあ連れて行ってあげますよ」
溺れかけた兄さんだ。こんな状況ならおかしくないだろう。
「え?」
兄さんの両脚に手をかけてすっと抱きかかえると、兄さんの目に動揺が走った。
「流、おいっ下ろせよ、こんなの恥ずかしいだろう」
「溺れる方がもっと恥ずかしいでしょう。誰も見ていませんよ」
「だっ……だが…」
俺に横抱きにされた兄さんは、頬を染めて異常に恥ずかしがっていた。
くそっ可愛いな。
北鎌倉で袈裟を着て、お経をあげている人とは別人だ。
今日の兄さんからは、線香の匂いはしない。
寺の若住職として勤めに励む翠兄さん。この人は俺の実の兄であって、十代の息子がいる父親でもあるはずなのに……
こんな風に俺に抱かれている兄さんを見ていると、こんな広い海の中で二人きりでいるとすべてを忘れてしまいそうになる。
「翠……」
心の中で、そう呼びかけた。
兄としてではなく、一人の人として、俺の想い人として。
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