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完結後の甘い物語 『蜜月旅行 27』

「流、今すぐに風呂に入りたい」  部屋に入るなり兄さんにそう言われた。  だが俺達の部屋には、バスルームは一つしかない。  それに部屋に戻ったらすぐにシャワーを浴びたいと、洋くんが丈に可愛く強請っていたのを、小耳に挟んだばかりだった。 「兄さん、今すぐには無理ですよ。洋くんが使っているみたいだから」 「そうか、じゃあ、この部屋の風呂じゃなくてもいいから、早く」  そう懇願されては無下には断れない。潔癖な兄さんのことだ。先ほど岩場でしてしまったことが尾を引いて、躰がすっきりしないのだろう。 「はぁ、兄さんは我が儘ですね。じゃあ大浴場に行きますか」 「流っいいのか」  翠兄さんが嬉しそうに微笑む様子は、まるで睡蓮の花のようだ。  本当にこういう所は、昔から変わっていない。  嬉しい時には、本当に心から嬉しそうに柔らかい笑顔を浮かべてくれる。だから俺はいつだってこの顔を見たくて堪らなくなる。 「その代り俺と一緒に行きましょう」 「うん、そうしよう」  まぁ俺の方も、兄さんと風呂に行けるなんて大歓迎だ。俺はいそいそとクローゼットを開き、風呂上がりの兄さんが身につけるべき衣装を真剣に選んだ。 「じゃあ準備しますから、少しだけ待っていてください」 「んっ分かった。本の続きを読んでいるから仕度ができたら呼んでくれ」  やれやれ……兄さんは本の虫だな。早く風呂に行きたいと騒いでいたくせに、少しの時間でも本を読みたがるのだから。それにしても、さっきから一体何の本を読んでいるのだろう?  じっと見つめると目が合った。 「ほら、流、早くな」 「分かっていますよ」  クローゼットの中の兄さんの衣装。まるで自宅のようにずらりと並んでいるのを見渡して、暫し思案する。  風呂上がりの兄さんの躰には、しっかり汗を吸い取る木綿のシャツが良いだろう。いや待て、やはり浴衣の方が着慣れているか。  浴衣だけでも三枚も持って来たので、その一枚一枚を、手で確かめながら選んでいく。  うん、今日はこの淡い鼠色のものが良いだろう。  すぐにこの浴衣を着た翠兄さんの姿を、頭の中で盛大に想像した。ホテルの備え付けの浴衣ではなく、淡い色合いの浴衣を着こなした翠兄さんの優美で風情ある佇まいは、さぞかしホテル客の目を引くだろう。  浴衣と下着一式を風呂敷に包み、更に兄さんがいつも使用しているシャンプー類なども詰め込んだ。  さぁ準備万端だ。時計をチラッと見ると、どうやら随分と兄さんを待たせてしまったようだった。 「兄さん、仕度が整いましたよ。さぁ大浴場へ行きましょう」  ところが…そう声を掛けたが、返事がない。  嫌な予感で振り返ると、ベッドボードにもたれて本の続きを読んでいたはずの兄さんの頭が垂れていた。 「まさか」  近づいてみると、手元の本が滑り落ちてきた。スースーと安らかな寝息が聞こえてくる。 「兄さん起きて下さい」  声を掛けても返事がない。  そんなに疲れていたのか。ろくに泳いでいないのに、南国の強い陽射しは兄さんの体力を根こそぎ奪い取ってしまったのか。  いや、違うな。やはりさっきのあれか。外で慣れないことをしたから……きっと精根を使い果たしたんだな。 「……兄さん」  姿勢が苦しそうだったので、兄さんの肩を戻してやった。更衣室のシャワーでは砂を落とし切れていなかったようで、首筋に残る砂が目についた。 「兄さん、やっぱり風呂に行きましょう。そのままじゃ気持ち悪いでしょう」  ユサユサと肩をしつこく揺すると、やっと返事はしてくれたが… 「んっ……もう眠いから……無……理…」 「でも、まだ砂もついているし……」 「……」  駄目だ。もう完全に寝落ちしてしまった。どうやら深い眠りに入ってしまったらしい。  これはもう当分起きないな。兄さんはいつだって、こっちの気持ちなんてお構いなしだ。あの雨漏りのハプニングの日だって、平気で俺の布団で朝まで眠っていたし…… 「はぁ……参ったな」  俺は盛大な溜息をつきながらベッドに腰かけた。だが、どうしても汗ばんだ兄さんの躰についた砂が気になってしまう。  その時ふと閃いた。  そうだ! 確かミニキッチンが廊下側の部屋にあって、あそこには電子レンジもあったな。そこで蒸しタオルを作り、躰を拭いてやればいいのだ。  すぐに数枚作って、兄さんの元へ戻った。  ぐっすり眠っているのを確認してからベッドに乗り上げて、兄さんの前開きのシャツのボタンを静かに一つずつ外した。  うっ……これは……手先が震える。  これは躰を拭いてやるためだ。別にやましいことではない。これ以上じれったくしていると、俺が危なくなりそうなので、必死に自分に言い聞かせボタンを外す手を速めた。  全部のボタンを外し、肩を少し持ち上げて袖を抜いてやると、兄さんの上半身が一気に露わになった。 「くそっ」  さっきだって海で兄さんの上半身裸は見たはずだ。  なのに……夕暮れの陽射しがオレンジ色に射し込むホテルの部屋で、しかもベッドの上に横たわった状態というのは別物だ。  綺麗だ……兄さんの躰。  触れたかった小さな突起は、もう寸前だ。  今なら触れられる。  いや駄目だ!そんな寝込みを襲うような真似をするつもりか。  卑怯だぞ!  そんな葛藤で苦しかった。  だから、いくつになっても俺はまだここから抜け出せないのだ。  これでは中学生の時のままだと自嘲した。  とにかく、まずは躰を拭こう。  蒸しタオルの温度を手で確かめてから、そっと兄さんの細い首筋にあてがった。すると優しい湯気が、ほんのりと立ち込めた。  そして、そのままそっと鎖骨まで拭いてやる。 「んっ……」  夢見心地の兄さんの…気持ち良さそうな声がふわっと聴こえた。  うわっ……なんともいえない、堪らない。  兄さんのその声……

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