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完結後の甘い物語 『蜜月旅行 30』
大浴場に駆け込み、すぐにサウナ前の冷水を頭から勢いよく被った。
「冷静になれ! なんてことを仕出かしまったのだ。俺は……」
自分のことを殴りたくなった。
水に触れ一気に冷たくなった唇なのに、まださっきの余韻を感じていた。兄の乳首に初めて触れた悦びが、熱を帯びたまま疼いている。
同性のものなのに、俺とが違って柔らかく弾力のあるツンとした尖りだった。色も透明感があって綺麗だった。そっと吸ってみると甘い疼きが躰の隅々にまで駆け巡った。そのまま熱に犯されたように乳輪までを大きく口に含み、何度も吸ってしまった。
「はぁ……俺は最低だ」
もう一杯洗面器に冷水を汲み、勢いよく躰に掛けた。
「もう忘れろっ」
いや……忘れられるはずがないじゃないか。
もう何十年も待ち望んできたことだ。
動揺する心、跳ねる心。
早く早く沈めねば。
居ても立っても居られなくなり、ドボンっと冷水に飛び込んだ。
火照った躰と心を、無理やりにでも静めなくては駄目なんだ!
****
部屋に戻るのが憂鬱で怖かった。
兄さんはもう目覚めただろうか。
さっきははっきり起きていたわけじゃない。冷静に考えれば、躰も脱力したままで目も閉じていた。寝言のようなものに俺はビクッと怯え、逃げるように廊下を走ったのだ。だがもしも翠兄さんが、さっきのことを覚えていたら……なんと答えていいのか分からない。
部屋のドアをそっと開けてみる。
「翠兄さん……」
呼びかけても返事はなかった。でもベッドに眠る姿を見つけ、ほっとした。
翠兄さんは、さっき俺が放り出したままの恰好で眠っていた。
冷房で寒かったのか、上半身裸のまま横を向いて躰を丸めていた。安定した規則正しい胸の上下だ。やれやれ一度寝たらなかなか起きない兄さんらしく、まだぐっすり眠っていた。
俺は布団を肩までかけてやり、時計を見つめた。もう日も暮れてしまったな。この分では外に食べに行くのは無理そうだ。となるとルームサービスだから、丈でも誘ってワインでも買ってくるか。部屋のルームサービスのワインリストには兄さんが好きな銘柄がなかったし。
……
翠兄さん、丈とワインを見繕ってきます。
起きたら風呂に入り、これに着替えて下さい。
……
すやすやと眠り続ける翠兄さんの枕元に、置手紙と着替えの浴衣を並べ、部屋を後にした。
****
目覚めると視界が暗かった。
「ん……丈……?」
いつも俺を温めてくれる温もりを求めて手を伸ばした。
ところが掴むのは糊のよく効いたシーツだけだ。
俺の隣には誰もいない。
俺を抱きしめてくれる人がいない。
「丈……どこだ?」
恋人の名前を口に出すが、返事がないことに寂しさを覚える。
ベッドから抜け出して冷静に思い出す。
あっそうか。海から戻りシャワーを浴びた後どっと疲れが出て、バスローブのまま眠っていたようだ。電気をつけて辺りを見回すが、やはり丈の姿はなく靴もなかった。
「靴がないということは、何処か出かけたのか」
慌てて俺もチノパンにリネンのシャツに着替えて、リビングルームへ向かった。リビングの電気も消えており、窓の外もすっかり暗くなっていた。海は暗く遠くに船灯が見え、空には大きな月が昇っていた。
「ここにもいない……あっ、もしかしてお兄さん達の部屋か」
翠さんと流さんの部屋をノックしてみるが、返事はない。
さっきまでの幸せがシャボン玉のように消えてしまったような不安を覚え、思い切って翠さんの部屋のドアを開けてみた。
すると肩まで布団を被りベッドで眠っている翠さんの姿を捉えることが出来たので、ほっとした。
それにしても、ぐっすり眠っているな。いつも凛として気高い翠さんがこんな無防備に眠っている姿が意外だった。
時計を見ると、もう18時過ぎだ。あんまり寝すぎると夜眠れなくなってしまうと思い、翠さんの肩を揺すって起こすことにした。
「翠さんっ起きて下さい、翠さん……」
「……んっ誰? 」
「俺です、洋です」
「あっ」
翠さんは何度か瞬きした後、やっと目を覚ましてくれた。
「洋くんか。ごめん、僕……寝てしまっていたみたいだ」
そう言いながら翠さんが上半身を起こした途端に、掛け布団がはらりと下に落ち、肌色が目に飛び込んで来た。
んっ? 裸なのか!
何気なく翠さんの剥き出しの胸元に目を向けた途端に、俺はギョっとしてしまった。
だって、その……
乳首のちょうど下あたりだった。
そこには少し痣のようなものがあった。更にその周りに……まるで花弁を散らされたように何かがついていた。
うっすらと小さな跡だが、俺はそれを良く知っていた。
そっ……その赤い鬱血って、まさかキスマークなのか。
なんだってあんな位置に……一体誰が付けた?
状況が呑み込めず、そのまま後ずさりした。
動揺し、心臓が破裂しそうだった。
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