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『蜜月旅行 56』もう一つの月
流兄さんがワインを注ぐピッチが速すぎる。これでは洋の二の舞で、酩酊してしまいそうだ。
「洋くんはもう寝てしまったようだな」
「そのようですね」
酔っ払って肩にもたれていた洋が、脱力しているのが分かった。
洋がこんな風に酔うなんて、本当に珍しい。私と二人の時でもここまで酔ったことはないのに、疲れていたのか、気を許していたのか。傍らで無防備に眠ってしまった洋が愛おしかった。
小さな吐息……誰にも聞かせたくない。
あどけない寝顔……兄達にすら見せたくない。
「ベッドで寝かせて来ます。それと私も今日は流石に酔ったみたいなので、このまま眠ってしまうと思いますが、それでいいですか」
「おう! そうかそうか、是非そうしてやれ。ちゃんと添い寝してやるんだぞ」
「はぁ……流兄さんは何だか嬉しそうですね」
「そっそうか?」
本当に流兄さんの様子が変な気がしてきた。これでは、まるで私と洋がお邪魔なようではないか。
何故だか昔を思い出してしまうな。小さい頃から、私は兄弟の中で蚊帳の外だった。翠兄さんはいつも気にかけてくれるが、流兄さんは翠兄さんのことばかり見ていて、私を気に掛けることがほとんどなかった。
私という人間が後から生まれて来たことで、次男の流兄さんが家族の中で中途半端になってしまったせいなのか。いつもなんとなく居心地が悪く、二人の兄の邪魔をしているんじゃないかと思うことが度々あった。だから中学から早々に寮生活を選んだのかもしれない。あの頃は自分が何に悩んでいるのか、まだよく分かっていなかった。
だが洋と出逢い洋を抱いて、洋に求められて私は変わった。
欲しかったのはこんな日々。
翠兄さんと流兄さん、そして私だけの相手がいつも傍にいてくれる日々だ。
仲睦ましすぎる二人の兄……月輪はその二人のもとへと、今宵渡って行った。
これは何を意味するのか。それは分からない。でもきっと何が起きても驚かない。私には、もうそれ以上の不思議なことが起きていたから。
「お休みなさい。二人とも酒はほどほどにしてくださいよ。明日は観光に行くのですから」
「あぁ、おやすみ丈。洋くんとよい夢を」
翠兄さんも少し酔っているようで、潤んだ瞳をしていた。
もともと綺麗な顔立ちの兄だとは思っていたが、こんなにも美しい人だったか。もういい歳になっているのに、まるで恋を知ったばかりの憂いのようなものが漂っている。
****
丈が洋くんを横抱きにし部屋に消えてから30分ほど経った。僕はまだ流に勧められるがままにワインを飲み続けていた。
さっきから無性に喉が渇き、変な汗が出る。部屋に流れる空気が重くて沈黙が気まずい。流の濡れた視線が、時折じっと僕に絡みついて、その視線から逃れられないでいた。
「二人共……あのまま寝てしまったようだね」
「ええ。だいぶ飲ませましたからね」
「本当に随分飲ませたね、僕もだいぶ飲んだよ。なぁ流……明日は何処に観光に行くつもりだ? あまり飲むと起きられなくなるな、それと……」
何故……僕は弟にこんなに緊張を?
緊張のあまり、どうでもいいことをペラペラと話してしまう僕をせき止めるように、静かで力強い声が部屋に響いた。
「……翠」
うっ……駄目だ。
そんな風に呼ぶのは反則だよ。流……
そう熱く呼ばれて、心臓がドクンと音を立てた。
「な……に?」
「覚悟は?」
そう聞かれて、はっと息を呑んだ。
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