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『蜜月旅行 71』明けゆく想い

「洋くん、そろそろ上がろうか」 「ええ」 「洋くんに話せたお陰で、心が落ち着いたよ」  海風にそよぐ翠さんの柔らかそうな髪が、朝日に透けて綺麗だと思った。先ほどの騒動なんてなかったかのように、いつもの翠さんらしく凛とした佇まいに戻っていた。  つい先ほど……翠さんが俺にだけ見せてくれた弱み。  今にも泣きそうなほど震え、動揺していた躰。  過去の衝撃を長い年月忘れられないことの辛さを、俺は知っている。  翠さんはそれでもまた前を見据え歩いて行く人だ。  流さんには何も告げないで、まっすぐに……  翠さんが迷わず歩いていけるように、その傍で支えられたらいい。  縁あって兄となった大事な人なのだから。 「本当にさっぱりしたよ。」 「はい……そうですね」  確かに俺も朝日を充分に浴びてリフレッシュし出来たような気がして、気分よく脱衣場に戻った。ところが脱衣場に戻った途端、ぶすっとした表情で丈が仁王立ちしていた。隣には流さんも立っている。  二人揃って、一体何事だ?  背格好の似ている流さんと丈が二人並んでいる姿はある意味、圧巻だ。 「どっどうしたの? 二人で」 「……迎えに来た」 「はぁ? 子供じゃあるまいし……」  うわっ……丈の機嫌が最高に悪い。  何でだよ。さっきは行ってもいいって言った癖に。 「洋くん何もなかった? こんな美人な洋くんを男湯に行かせるなんて丈のアホって注意しておいたよ。 いやぁなんか兄として心配でね」  流さんがおどけた口調で、フォローするように話しかけてくれた。  何もなかったというと、正確には嘘になる。  だが先ほどの事件について……俺は話さなかった。  翠さんがそう望んでいると思ったから。  そして流さんの方も、ちらちらと翠さんのことを伺っている様子から、一番に心配したのは翠さんのことなんだろうと察した。 「すみません。翠さんと長湯してしまって」 「いや、いいんだ。翠兄さんも洋くんと一緒でなんか嬉しそうな顔しているから」 「……翠兄さんも、大丈夫でしたか」  そう問われも、翠さんは顔色を崩すことはなかった。 「あぁいい湯だったよ。流も一緒に来ればよかったね」  そういつもの調子で翠さんが返事をした途端、流さんの方がほっと安堵の溜息をついたようにも見えた。 「そうですね。本当に良かった。さぁ行きましょう! 兄さん……お腹も空いたでしょう」  何となくぎくしゃくとしていた空気が、柔らかく戻っていく。  あの克哉という男のことが頭の片隅で気になっていたが、翠さんが告げる気がないのなら、俺の方が差し出がましいことをするわけにもいかないので、伏せておくしかない。  だが本当に大丈夫なのか、彼を刺激してしまったのではないか。  一抹の不安が過っていった。 ****  部屋に戻るとルームサービスの朝食がずらりと並んでいた。 「わぁ!すごい!」 「下まで男四人でぞろぞろと食べに行くのもあれだから、頼んでおいたよ」  流さんはどこか上機嫌で、今日は何して遊ぶか?」と張り切っていた。そこから二日目のスケジュールについて話しあったが、意見がなかなかまとまらない。 「じゃあ海にまた行くか」 「いや……今日はもう……海はいいです」 「私も海はもう満喫した」  珍しく丈と俺の意見が合ってほっとした。  その反応に翠さんもすかさず同意した。 「僕も海はちょっと……今日は無理そうだ」  翠さんは、もう懲り懲りだとでもいうように力なく苦笑していた。 「そうか、じゃあクルーズはどうだ?」 「うーん……どちらかと言えば今日は陸でゆっくりしたいな」  翠さんがそう言うと、流さんはピンときたようで、窓際の書斎机からリーフレットを取り出した。 ……  黒松林に囲まれた緑あふれる「ホテル客専用乗馬クラブ・海音」では、初心者やお子様から、本格的に乗りたい方まで、気軽に乗馬体験をお楽しみいただけます。松林の中にはアップダウンもあり、自ら手綱を引く本格感も体感でき、馬の上からの目線をお楽しみください。 …… 「なぁここはどうだ? 乗馬なんて珍しいだろう」 「乗馬? それは無理だろ? 今日の洋には」  丈がそんなこと言うものだから、つい俺もムキになってしまう。  そんな柔な躰じゃない!  そりゃ……昨日昼夜を問わず丈に抱かれたからって! 「いや乗馬がいい。昔、軽井沢で習ったんだ。丈より上手いかもな」 「へぇ、そうなのか」 「本当だ! 流さん今日は乗馬をしましょう」 「お! いいね。翠兄さんはどうします」 「うん、いいね。僕は洋くんや丈が乗馬するのを見たいな」 「決まりだな!」  そんなわけで二日目にアクティビティは乗馬に決定したというわけだ。  昨日はよく考えたら丈に抱かれまくって終わったような気がするので、今日はしっかりとリゾートライフを満喫したいと願った。

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