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『蜜月旅行 85』終わりは始まり

 朝食後はツアー客と共に、ホテルへ戻ってきた。 「さぁ売店に寄ろう」  翠兄さんはさっき言ったことを本当に実行するようだな。それならそうで受けて立つさ。 「さぁ何でも好きな水着を買ってあげよう」 「ふふっ頼もしいです」  隣で話を聞いていた洋くんが、くすぐったそうに笑っていた。弟が兄に慕う様な甘えた笑顔だ。へぇ……洋くんはこの旅行に来てから、どんどん表情がほぐれていくな。  もしかして持って生まれた性格は、もう少し違うのかもしれないな。大人しく静かで控えめで、でも芯があるとは思っていたけれども……ずっと月が雲に隠れた夜のように暗く危うい世界にいたのかもしれない。息をひそめるように生きて来た日々を想像すると、少しだけ胸がしめつけられた。  っと翠兄さんはどこだ?  探すとホテルの売店の奥で、女の店員さん達と歓談している。 「あら~お兄さん偉い美形ね、モデルさんか俳優さん?」 「いえ、そんな、ただの旅行客ですよ」 「嘘ぉ~一般人とは思えないわ」 「ありがとうございます。あの……男性用の水着はどちらですか」 「水着ですってぇ♡」  おいおい語尾にハートマークがついてるぜ。おばさん達よ。  兄さんは、はっきり言って昔から中年のおばさんにモテモテなんだよな。もちろん若い子にもだが、数的には圧倒的におばさんが多い。おばさんキラーって奴か? 庇護欲をそそる対象なのか……全くこんな所でも絡まれて。  寺の写経会なんて、兄さんが担当の日はおばさんの申し込みが殺到して抽選になるほどだ。鎌倉界隈の奥様方の間で、兄さんは『月影寺の貴公子』と囁かれているのを、俺は知っているぞ。俺の方がワイルドでいいだろう? と思うのに、鎌倉の上品な奥様方にはいまいちウケないようだ。  早速店の奥へ連れて行かれ、あれこれと水着を勧められている。 「こっちの淡い色のタイトな方がお客様にはお似合いですよ。色白で華奢ですから」 「いや……あの、もっと普通の…ハーフパンツっぽいのでいいのですが」 「えー!!そんな勿体ない。せっかくのお綺麗な体つきなんだから、ねねね、試着してはいかが」 「え? いや僕はそっちの黒い膝丈ので」  強引に試着室へ連れて行かれる翠兄さんに様子に呆れてしまった。そろそろ助けてやるか。 「翠兄さん、決まりましたか」 「あっ流……」  助けを求めるような翠兄さんの顔が可愛らしくて、この人は本当に……と苦笑してしまう。 「あら? お客様のご同行の方ですか」  おいおい、おばさんなかなかしぶといな。俺がそこを退けオーラで近寄っても食い下がらないとは。 「えぇ弟です」  兄さんも律儀に答えなくてもいいのに。 「まぁ~全然似てないんですね。あぁそうよ! さっきの黒い水着は弟さんのような精悍な方に似合いますよ!」  おっでも、なかなかいいこと言うな。 「ありがとう。そんなに熱く勧められたら断れないな。ねぇ兄さん。じゃあ俺が黒いので、兄さんにはあなたが見立てたその水色のを。あ……そうだ洋くんのも買わないと。洋くんにはこの水色の色違いはありますか」 「まぁよろしいのですか。私達なんかの見立てて」 「勿論だ」 「キャー!!」 「流っその水着はちょっと……」  翠兄さんの不満げな声がするが店員さんの前で、強く言い返せないようだった。  俺は兄さんの弱みを知っている。  人前では大人しいんだよな。いい顔しがちになるんだよな。典型的な長男気質が今日は役に立ったってわけだ。 「翠兄さん、ここにいたんですか! 水着もう決まりましたか」  レジで包装してもらっていると洋くんがやってきた。 「あ……うん。決めたというか、決められた」 「ん?」 「それで……洋くんも道連れだから」 「は?」  目を丸くする洋くんの様子が、可愛らしかった。 「まぁ、その方も弟さんですか」  店員のおばさんが洋くんに見惚れながら話かけてきた。 「ええ一番下の弟です」 「皆さん美男子ばかりで驚いたわ!それに一番下の弟さんは、あなたによく似ていて」 「そうですか」 「ええ、流石ご兄弟ですね〜雰囲気も顔立ちもよく似ているのねぇ〜」 「ありがとうございます!」  滑らかな頬を紅色に染めて、いち早く答えたのは洋くんだった。  洋くんは過去の、もう綺麗なだけで虐めたくなるような男ではない。可憐な人懐っこい笑顔を浮かべるようになっていた。本当に、誰もを魅了する笑顔だ。きっとこの先は誰もが大切に、その笑顔を守りたくなるような気分になるだろう。  そうだ、その調子だよ。洋くん。  もっともっと来いよ。俺達の兄弟の中へ入ってこい。  俺達はみな大歓迎だぞ!

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