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引き継ぐということ 5

「じゃあ翠、寺のことは任せたぞ。月影寺の名に恥じぬ行いをするのだぞ」 「はい、分かりました。お気をつけて」  翌日の昼前に、僕は両親を山門で見送った。  丈は早朝から病院へ行き、洋くんは今日は翻訳の先生の家に行っている。つまりこれで寺には、流と僕だけになる。  だが、そんなことを喜んでいられる立場ではなかった。 「……月影寺に恥じぬようにか」  思わず口に出して呟くと、流も同じこと思ったのだろう。作務衣姿のまま、すっと僕の横から去って行った。  なんだか流との距離感が難しいな。宮崎ではあんなに躊躇いなく触れられたその手が今は遠く感じる。足早に去って行く流の後姿を、僕は眩しく見つめ続けた。  僕はそのまま墓地内を一周してからお堂に入り、木魚を叩き念仏した。  御仏に仕える身なのだ。それをゆめゆめ忘れるな。  父の言葉が、重たく暗いお堂の中で僕へのしかかって来る。 ****  どの位の時間が経ったろう。住職としての勘を取り戻せた頃に、再び流がお堂にやってきた。 「兄さん、昼食の仕度が出来ましたよ」 「あ……うん」  どこか余所余所しいのは気のせいか。  流の逞しい腕と胸板を、ついじっと見てしまった。  あの腕に掴まれてベッドへ押し倒され、あの胸に我が身を擦るように合わせ、僕は流に抱かれたのだ。汗ばんだ男の匂いが立ち込める胸の中は、とても落ち着ける居心地が良いものだった。  瞬く間に不埒な妄想をしてしまった自分に驚いて、つい顔を背けてしまった。 「兄さん? 何か心配事でも」 「え……」 「昨日電話していたでしょう。彩乃さんからだったんじゃないですか」 「あっうん。そうだけど……なんで分かった?」 「兄さんにあんな顔をさせるのは彼女しかいませんよ。で、用件は?」  彩乃との電話で、僕が彼女の言いなりだったのを見られていたのかと思うと、気恥ずかしさで埋もれたくなる。 「あ……三十日に、空港まで薙を迎えに行くことになって……でも僕には来るなと言うんだ」 「はっ!彼女らしい言い分だ。いいですよ。俺が迎えに行ってきますよ」 「いいのか……流、その……お前には迷惑ばかりかけて」  頼りになる流、僕の弟でもあり、僕の恋人だ。  今までと違う熱のこもった視線でつい見てしまう。  駄目だと分かっているのに。  そこまで言うと、流はじっと僕を見つめて黙ってしまった。  何か怒ってるのか、心配になり見つめ返すと、流は少し寂しそうに笑った。そして僕のことを「翠」と呼んでくれた。 「翠……駄目だ。そんな目でみるな! これでも必死に抑制しているんだ。二人きりになると翠に触れたくなるし、口づけだって、もっと先のことだって、どこまでも翠が欲しくなるんだ。こんなの危険すぎるだろう。もうすぐ薙も来るんだし、用心しないと行けないのは承知しているのになっ」  投げつけられた流の激情。  そうだった。僕たちの恋とはそういうものなのだ。隠し通すことを徹底しないといけないのに、それでも僕は流の熱が欲しくなる。  僕はこんなに欲深い人間だったのか。 「流……分かっているよ。僕も同じ気持ちだから」  僕が立ち上がると、流も立ち上がった。ふと横にならぶ流のことを見上げれば、背丈が10cmほど違うので、流の顎先が見えた。  そしてその上には形のよい男らしい唇が見える。  あの唇に触れたい。  そんな欲求が自然と湧き上がる。  思わず流の肩に手をかけそうになった時、事務を任せている女性が急にお堂にやってきた。 「住職こんなところにいらしたのですね。法要の日取りの相談の電話が入っています」 「あっ分かった。今行く」  伸ばしかけていた手をぎゅっと握り締めて袈裟に隠し、僕は流の横を通り過ぎた。  機会はまだある。  確実に流に触れることができるように、僕が機会を作ればいい。  もう流ばかりを待たせたくないよ。

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