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引き継ぐということ 26
冷蔵庫の扉を開けた途端、思わず暗い溜息が漏れた。
「やっぱり、まだお肉のパックのままか……」
揚げるだけの状態まで下ごしらえ済みなら頑張ってみようと思ったが、どうしたものか。
「どしたの?」
俺の脇から薙くんがヒョイと手を伸ばし、肉のパックを手に取った。
「豚肉か。何作るつもりだったの? 」
「……トンカツ」
「揚げ物かぁ、それ無理だから」
「え? 薙くんが出来ると思ったのに」
「うちはさぁ、母さん仕事で忙しくて、揚げ物なんて一年に一度すればいい方だったよ。そういうのはデパ地下とかで買ったものってルールだったぜ」
「そっか、うん、俺もそうだった。確かにそういうのしか食べた記憶がないな。じゃあ、そうだ、ご飯は炊けているかな? 」
炊飯器を覗くと、流さんが事前にタイマーをかけてくれていたらしく、ほかほかの白米が炊きあがっていた。流さんがいる時は拘って土鍋で炊くが、今日みたいに出かける日は炊飯器を使うので助かった。
「ご飯はあるから、おにぎり握ろうかな」
「へぇ不器用そうなのに、出来るんだ」
「薙くんも一緒に作ろうよ」
「いいぜ、どっちが早く沢山握れるか競争しよう」
「いっいいよ。じゃあ具を用意するから待っていて」
俺はいつものように厚焼き玉子を作り始めた。
おにぎり以外に俺が唯一出来る料理だ。
いつも丈が俺を甘やかすから、このざまなんだよな。でも丈の料理は美味しい。そうだ離れのリフォームではミニキッチンを作ってもらったから、俺も少し丈に料理を習おうかな。
「焦げてるよ」
「えっ!あっごめん」
薙くんに背中をツンツンと押されて我に返った。
北鎌倉で過ごすようになってから、信じられない程ゆっくりと時が流れていくので、すぐに考えごとをしてしまうのは悪い癖だな。
「洋さんって面白いな。綺麗な顔しているけどぼんやりしていて、もしかして空想好き?」
「違うよっ」
「くくっ、ムキになって面白い」
なんだか薙くんに懐かれたのはいいけど、年下のような扱いってどうなんだ?
俺は兄弟もいないし、友達も多い方じゃないので、戸惑ってしまう。
****
立ったまま、お互いの唇を角度を変えて何度も何度も重ね続けた。
翠を求めても求めてもまだ足りない。
翠も必死に俺を受け入れ、舌を挿し込めば誘うように自ら迎え入れ絡めてくれた。
ゾクゾクする。
袈裟姿の翠をこうやってきつく抱きしめ、口づけするなんて。しかも葬式帰りだ。
どこまでも背徳な行為。
だが止められない行為。
「翠、脱がしていいか。風邪をひくから」
俺は翠の腰を抱きしめ、袈裟を脱がしにかかった。
翠も素直に躰を委ねてくれる。
雨に濡れた袈裟から、大粒の雫が畳へと零れ落ちた。だがそんなことお構いなしに、俺は濡れた袈裟を放り投げ、※白衣姿の翠を手に入れた。
※白衣(はくえ)とは一般の浴衣と同じ形。僧侶用としては無染、無着と清浄の表現として白い生地で作られている。法要では白衣を着て白帯をつけて、その上に法衣や袈裟を着用し足もとも白足袋を履く。
袈裟は雨を含んだ重たくなっていたが、白衣の方は無事で軽やかだった。
焚きしめた翠流という名の香が密室へ広がっていく。
「ちょっと待ってろ」
ここは茶室として使うために配慮された和室の八畳間で、床柱は杉面皮丸太で、床脇を吊り押し入れとしていた。その吊り押し入れの中に、翠と俺の着替え一式とバスタオル類を入れておいたのだ。何故なら、俺はここで翠を抱こうと決めていたから。
大きなバスタオルを取り出し、翠の濡れた髪を拭いてやる。
「ほら拭いて、兄さんは風邪をひきやすいから」
頼りなく俺に髪の毛を乱される翠の目は潤んでいた。
早く……早く来てくれと急かされるような気分だ。
控えの間から敷布団を持ってきて投げるように敷き、翠を誘う。
翠はもう何も言わなかった。
ただ無言でそこに横たわった。
この茶室で、下着姿で横たわる翠を見られるなんて……ずっと夢見ていた翠の姿に、俺の心臓はバクバクとうるさい程音を立てていた。
「流……何故ここを選んだ?」
「なんでって、ここが一番目立たないから」
「僕も……そう思っていた。ここに連れて来て欲しかった、だから嬉しい」
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