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ただいまとお帰り 1

「どうする? 母屋に戻るか。それとも先に俺達だけの内覧会をする?」 「そうだな、先に少し部屋を見たい」 「了解! でもちゃんと夕食は食べにいこうな!」 「分かった」  リフォームしたばかりの離れの玄関前で、俺は丈に声をかけた。丈は昼を食べていないようだったから、まずは母屋で夕食をと思ったのに……  鍵を取り出し、丈に差し出した。 「一緒に」 「うん」  緊張するな。まるで何かの儀式のようだ。二人で鍵穴に鍵を差し込みガチャッと回すと自動で照明が灯り、間接照明の柔らかなオレンジ色の世界がふわりと浮かび上がった。 「わぁ、昼とはまた違った雰囲気だ」 「あぁ夜は特にムーディーな雰囲気になるように野口さんにお願いしておいた」 「なるほど、外国の家のようだな」 「そうか。気に入ったか」 「あ……そういえば」 「なんだ?」 「流さんがこの部屋のリフォームを気に入って、茶室も改装するって話になっていたよ」  丈はさして驚かなかった。 「へぇ茶室を……まぁ、おおかた翠兄さんのためだろう?」 「なんで分かるの?」 「流兄さんが自分から何かをしたいと言い出すことなんて、ここ最近ないからな。みんな翠兄さんのためだ」 「そうなんだ、二人の絆は強いようだね」 「……おかげで私はいつも一人で寂しかったよ」  それはポロリと零れる本音なのか。  そんな弱いことを吐いてくれる丈のことが愛おく感じる。 「丈は俺と対になるために、今まで一人だったんだろうな」 「可愛いこと言ってくれるな。あぁでも本当にそうかもしれない」  丈がそのまま俺を抱き寄せ口づけしようとしたので、手で制止した。 「まだ駄目だ、丈はちゃんと夕食を取らないと。昼だって食べてないだろう?」 「へぇ心配してくれるのか」 「当たり前だ」  そのまま新居のリビングに行くと、微かに美味しそうな匂いがした。  なんだろう?  キッチンのコンロに鍋が置いてあり、キッチンカウンターにはサラダとバケットまで用意してある。 「これは?」  皿の下に手紙が入っていた。 ……  新居の完成おめでとう!  今日は二人で過ごせ。  昼間同席できなかった可哀想な弟のことよろしく。  フルコース用意できなくてごめんな。  流 …… 「これ流さんから?」 「あぁそうみたいだな。兄貴もやるな」  琺瑯の鍋の中には、よく煮込まれたビーフシチューが入っていた。  丈が蓋を開けて嬉しそうに微笑む。 「なるほど、いいな。丁度今日に相応しい良いワインがある」  丈がワインセラーから取り出した赤ワインは、俺が生まれた年の1990年のラベルだった。 「洋が生まれた1990年はな、フランスにおける『歴史に残る世紀のヴィンテージ』と称される年だよ。春先から収穫期まで終始完璧な天候が続いたこともあり、ブドウがよく熟し、収穫量も多く良く、世紀をまたいで熟成が可能な素晴らしいワインが数多く生まれた年だ」 「へぇ……俺が生まれた年に造られたものか」  グラスに注がれたとろりとした赤ワインを嗅げば、そんな記憶はないのに、懐かしい思い出の香りがする。 「洋がこの世に生まれてきてくれて、私の相手になってくれたことに感謝したい」  改まって真顔で言うから、猛烈に照れてしまう。 「丈。なんだよ急に……そんな改まって」 「ふっ早く夕食を食べてしまおう。そうしないと今すぐ洋をこの広いソファに押し倒したくなるからな」  大人二人が横になれるほどの奥行も長さもたっぷりなソファの意図に、かっと赤面してしまう。 「さぁ乾杯だ」 「うん、乾杯」  俺たちの家に乾杯しよう。  明日からはここで……  ただいまとお帰りを言い合おう。

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