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夜の帳 5
離れの我が家。
車を寺の駐車場に停めて、細く長い階段を上がる。山門を潜り母屋ではなく横道へ逸れて行くと、灯りがついた我が家が見えて来る。
この光景は、遠い昔憧れた夢のようだ。
ついに私が私でいられる場所を手に入れた。
その喜びを何度も噛みしめている。
心から愛おしい人と暮らす喜び。
愛を育む家の存在は、私を幸せで満たしてくれている。
木枯らしで冷えた体も、我が家の灯りが温めてくれる。
「ただいま」
ドアを開けると、書斎でPCに向かっていた洋が顔をぱっと上げた。
「あっお帰り、丈」
「仕事をしていたのか」
「あ……えっもうこんな時間? わ、まずいっ炊飯器のスイッチいれたかな」
どうやら長時間仕事に没頭していたようで、慌て出すのが可愛らしいと思った。
「いいよ、先にそれを終わらせて。ライターの仕事は順調か」
「うん、まだ駆け出しだから、そんなには需要もないけれども、一つ一つの仕事を丁寧にやりたいと思っているよ。あ……そうだ。丈ちょっといい? 医療系の翻訳作業をしていて、少し分からないところがあって。ここの外科医療器具の内容を、もう少し分かりやすく教えてくれないか」
「うん? あぁこれか……これは創閉鎖・創傷管理関連製品だな。どれだ?」
「ええっと、このカタログの……」
それにしても、あの日私が口から出まかせで呟いたライターの職を、本当に洋が望むなんてな。しかも医療系ライターとは嬉しいものだ。
こうやって洋と仕事の話を一緒に出来るのが楽しいし、私の知識を頼ってくれるのが嬉しい。結局私はそのまま三十分ほど、翻訳作業に付き合ってしまった。
「丈はやっぱりすごいよな。俺の知らない用語を沢山知っていて勉強になるよ」
小さな子供みたいに洋が、ぱぁっと目を輝かす。
「まぁ日々最先端の現場にいるからな」
「そうだね。俺ももっと頑張るよ。本当に丈の記事を書けるライターになりたいと思っている。翻訳の先生に紹介していただいた編集長さんにも、素質があるって言われたから、やる気が出たよ」
こんな風に希望に溢れた洋の表情を見ていると、とても満ち足りた気持ちになってくる。愛する人の嬉しそうな顔というものは、本当に癒しになるのだな。
「そうか。そんな洋にいい話があるぞ」
「何? あっ続きは食事を取りながらにしよう。お腹空いているだろう」
「あぁでもその前に少し体が冷えたからシャワーで温まって来るよ」
「風呂は沸かしてあるよ。今日は流さんの手伝いで落ち葉拾いをしたから泥だらけになって、先に風呂入ったんだ」
なるほど、だから洋から石鹸の良い香りがするのか。
「じゃあ簡単に入って来るよ」
私が風呂に入っている間に、洋がただたどしい手つきで食事の用意をしてくれる。と言っても流兄さんが作ったおかずを皿に並べるだけだが……おいおいと心配になるほど怪しい手つきだ。
ご飯もちゃんと炊けているのだろうか。それにしても、どうして自動炊飯器で失敗するのか不思議だ。当の本人はいたって真面目にやっているのに。
「洋、あとは私がやるから、座って」
「あ……うん」
洋は恥ずかしそうに頷くが、私は洋のためにあれこれ世話を焼くのが大好きだから構わない。私たちは本当に上手く出来ている。
「丈、さっきのいい話って?」
食事が終わり、二人でワインを片手にチーズとナッツをつまみに飲んでいると、洋が思い出したように尋ねて来た。
「実は今日病院の看護師から頼まれた話で……今度の学会での医療ライターを探しているそうだ」
「ライターを?学会ってどこで?」
「京都だよ」
「それっ丈も行くのか」
「あぁちょうど行く予定だ」
「是非やりたい!どうしたらいい?」
「ははっ」
即答する洋に、現金なやつだと苦笑してしまった。だが嬉しい。洋が私だけを見て、私と一緒にいたいと思ってくれることが心地良い。
「うん、この広告代理店に明日連絡してみてくれ。看護師の方からも話してもらっているので、スムーズだと思うよ」
「ありがとう! 分かった。採用されるように頑張るよ」
「あぁ頑張ってくれ。そうしたら洋と京都旅行に行けるな」
「実は俺……ちょうど京都に行きたいと思っていたから驚いた」
「そうか、じゃあますます頑張れ」
嬉しそうに微笑む洋の笑顔は、花が咲いたように相変わらず美しくて、私は目を細めて見惚れてしまった。ワインのせいでほろ酔い気分なのだろう。目元を染めた美しさは格別で、今すぐベッドに押し倒したくなるほどだ。
そうだな、今宵はもっと酔わせて……もっと…乱れさせたい。
これはいつもの悪い癖だ。
洋を抱きたくて仕方がない欲求が、ムラムラと芽生えてしまう。
こんな寒い夜は、洋に暖めて欲しくなる。
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