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夜の帳 6

「あの……薙くん」  ひとりでぼんやり下校していると、後ろから呼び止められた。 「何?」  振り返れば、確か同じクラスの女子が立っていた。名前は思い出せない。でも頬を真っ赤に染めて、何か言いたげにしている。  あぁこのシチュエーションは、何回も経験したものだ。 「あの……あのっ! 薙くんこれっ受け取ってください」  手紙を押し付けて逃げるように走り去るなんて、古典的だなぁと思った。どうしたものかと少し立ち止まり、でもそのまま何事もなかったように歩き出した。  ふと道路沿いの商店の古びたショーウインドウに映り込む、オレの顔に目が留まる。これを美形っていうのか。自分では実感ないけれども、父さんにそっくりな顔はよく周りからそういう表現でもてはやされ続けていた。  渋谷や原宿を歩けば芸能事務所やモデル事務所からスカウトされることも、しょっちゅうだった。  あんなの糞くらえだ。  オレのこと知りもしない奴が、上部だけを見て言い寄って来る世界。  そのことが鬱陶しく無性に腹が立つ。今日もそうだ。彼女とは話したこともないのに、こんな手紙を寄こすなんて。  結局渡された手紙は、中身も見ずにビリビリに破いて、冬空へと投げ捨てた。屑となり木枯らしと一緒に風に舞い、彼方へと消えて行く。これでいいい。オレは本当に誰にも興味が持てない。  あ……でもこんなオレの興味を昔から惹く人が一人だけいる。それは父さんの二歳下の弟の流さんだ。  最近のオレは変だ。秋にこの寺へやってきてすぐに父さんの四歳年下の弟の丈さんと、父さんたちの弟として養子縁組したという洋さんが、実は同性愛で同居していることに気が付いてから、意識し過ぎなのか。  ずっとせき止めていた気持ちが流れ出してしまったようだ。  憧れに似たこの気持ち。  流さんの温かい気流が昔から大好きだった。オレが唯一関心が持てた人への好意が、淡い恋に変わっていくのを感じていた。 「おい! 薙」  背後からの声にはっとして振り返ると、同じタイミングで転校してきた拓人が立っていた。 「お前なぁ。ラブレターをビリビリに破いて酷い奴だな。ほら、名前の部分は細かく破かないと本当に失礼だぞ」 「あ……」  確かに差出人の女の子の名前がそのままになっていた。これは流石の俺でもまずいと思うところだ。 「なぁ……こんなこと言いたくないが、その気がなくてもさ、勇気を出してこれを渡した子の気持ちにもなってみろよ」 「うん……ごめん。ありがとうな」 「しかし不思議だなぁ」 「何が?」 「だってお前モテモテなのに片っ端から女の子フッていくんだから。もしかして女に興味ないのか」  まるでさっき考えていたことを見透かされたようで、少しドキッとした。 「どっどういう意味だよ?それ」 「いや別にそのまま」 「オレの顔さ……お前から見てどう思う?」 「はぁ?」 「女顔なんだよ。父親ソックリでさ、嫌になるよ。女子から見たら、二次元的とかそんな風に見えるらしいよ。性格こんなにひねくれてんのにな」  自虐的につい拓人にあたってしまった。 「父親そっくりって? 薙のお父さんって、そんなに綺麗なのか。男なのに?」 「お前まで綺麗とか、むず痒いこと言うなよ!」 「あっうん、悪い」  何か考えるところがあるのか、拓人はそれきり黙りこくってしまった。しばらく並行して歩いていたが、どうにも元気がないのが気になってしまう。 「どうした? オレオレなんか変なこと言ったか」 「いや……別に。男で綺麗だなんて形容詞嬉しくないよな。ごめん」 「そうだよ。お前みたいに男らしい顔の方が絶対いいぞ。お前は父親似?」  そこまで聞くと、拓人はなぜか辛そうな表情になってしまった。 「父親似のはずないだろっ」  何故怒ってしまったのか分からず、またもや気まずい沈黙が流れた。  結局そのまま別れたが、温厚そうな拓人を怒らせるようなことを言ったのかと首を傾げてしまった。  そういえばあいつの家ってどこなんだろう?  オレはあいつのこと何も知らないな。  しばらく一人でそのまま歩き、寺の山門が見えてくるとほっとする。そして山門までの階段に濃紺の作務衣姿の流さんの姿が見えると、一気に心拍数が上がっていくのを自覚した。  オレよりずっとずっと年上で大人の流さんに、憧れに似た恋をどうやらしているらしい。 「流さん、ただいま!」 「おぅ薙。お帰り」  白い歯を見せ笑う精悍な顔に、やっぱり胸の奥が甘く疼くのを感じてしまった。 **** 月影寺離れの夜 「洋、そろそろ寝るぞ」 「う……ん?」  肩を揺さぶられ目が覚めた。どうやら俺はソファでうとうとしていたらしく、胸元までふかふかの毛布に包まれていた。 「今宵は随分冷えているな」 「本当だ。もう冬だね」 「ストーブを今度は焚いてみよう」  丈がすっかり夕食の片づけをしてくれていたようで、テーブルの上は綺麗に片付いていた。 「ごめん、俺また眠ってしまった」  少しだけ丈が咎めるような目で見つめて来る。 「怒ってる?」 「いや、洋は外で飲むのは厳禁だ。危なっかしい。すぐに酔って眠ってしまうから」  盛大な溜息交じりに呟かれて、居たたまれない。  俺がこんな風に酔えるのも、眠くなるのも……丈とだけだ。普段の俺は外で飲んでも酔えない。飲めば飲む程、気を張って神経をすり減らす。今まで……酔わされてどんな目に遭ったのか。嫌な記憶が蘇えるのを必死に抑え込むためだ。 「大丈夫だよ。丈とだけだ。こんな風になるのは」 「可愛いことを言ってくれるな。さぁもう寝る支度をしろ」  俺の答えに満足したように、丈は嬉しそうに笑ってくれた。 『寝る支度』というその言葉に、ほろ酔い気分の俺は過敏に反応してしまう。  丈が恋しい。  夜になると、暗くなると……いつも丈が恋しくて仕方がなくなる。  今日はとても寒かった。  だから……暖めて欲しい。

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