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いにしえの声 14
「おいで」
「どこへ行く?」
丈は突然タクシーを拾い『京都駅へ』と告げた。
「まだやっているし、扱っているはずだ」
「何を? 宿は逆方向だろう?」
「買い物をしてから戻るぞ」
何処へ行くとも何を買うとも告げられなかった。
降り立ったのは京都駅前。
ターミナルビルに入っている家電量販店に連れて行かれた。
丈は買うものがはっきり決まっているらしく迷いなく店内を歩いて行った。ノートパソコンが入った重たい鞄は丈が軽々と持ってくれていたので、俺も懸命に丈の後を追った。
男のくせに荷物を持ってもらって、なんだかなぁと思いつつ、一日頭を使い過ぎてヘトヘトだったので助かった。
「洋……これを買おう」
丈が立ち止まったのは、黒いデジタルメモ機器の前だった。
「へぇ」
そのマシーンは観音開き式の折りたたみキーボードを搭載していた。商品のPOPには『折りたたむとコンパクトで、広げると17mmのキーピッチのキーボードとなります』と書かれていた。
なるほど! 確かにタイピングしやすそうな絶妙な大きさだ。
俺は実際に展示品に触れてみると、画面も電子ペーパーディスプレイを搭載していて、とても見やすく心惹かれた。
「これならコンパクトで使いやすそうだな。ノートパソコンよりずっと軽いし」
「だろう? しかも乾電池たった2本で長時間駆動するそうだよ。約20時間も駆動するそうだから、これならうっかり充電器を忘れても大丈夫だろう」
「あっ」
そうか……PCを充電しわすれたり充電器を忘れてしまう、そそっかしい俺のためになのか。
「もちろんUSBで簡単にデータは移せるし、これからはライターの取材にはこれを利用したらいい」
「いいね。それにしても、よく知っていたな。こんなマシーンがあることを」
「まぁな」
もしかして高瀬さんが使っていたのかなと頭に過ったが、いつまでも女々しいので言わなかった。何より丈が嬉しそうに俺に勧めてくれるのが心地よかった。
「洋にこれを買ってあげたい」
「えっでも結構高いよ」
値札を見ると四万円ほどだ。即買いするには高価だと思った。
「いや大丈夫だ。買おう」
「いいよ。自分で買うよ」
「いや、私からの贈りものにしたいんだ」
俺だってその位の持ち合わせはあるのに、丈はひかなかった。
「いつだって、洋の傍に」
結局そんな口説き文句にクラっと来て受け入れた。
「その代わり」
帰り道のタクシーの中で、丈が囁くその言葉。
「その代わり?」
「ホテルに着いたら、すぐに抱いてもいいか」
運転手には聴こえない声で、そんなことを囁くのが……俺の恋人。
****
京都、右京区。風空寺の朝
「翠、気をつけてな」
「うん、夜には戻るから」
僕はひとりで宇治へ向かう。
京都駅へは地下鉄を乗り継いで行き、そこからはJRに乗った。何度か達昭と学生時代に訪れた京都だが、宇治は何故か初めてだった。
二十分足らずで宇治駅だ。意外と近いな。
高級茶の産地として知られる宇治は、風光明媚な土地柄から古来から人々に愛されている。そういえば源氏物語にも『宇治十帖』という巻があった。
駅から平等院へ続く道には両脇にお茶屋さんが続いており、平日でも観光客で賑わっていた。
流に何か買っていきたい。
楽しそうな往来を眺めているとそんな気分になった。
抹茶と和菓子でも買おうか。
流は抹茶味のデザートも好きだし、何がいいだろう。
茶室で二人でゆっくり過ごしたいな。
……戻ったらそんな時間を持とう。
流のことを想えば、自然と心が安らいでいく。
そしてその逆に薙のことを考えると、心臓が締め付けられる。
薙は何が好きだろう。あの子の好きなものはなんだろう?
自分の子供でありながら、どこか遠い存在の薙。
お前はその名の意味を知っている?
あの日、寺を出て行く俺の気持ちを、お前の名前に込めてしまったことを許して欲しい。
「全部薙ぎ倒したい」と言ってくれた流。
「何もかも薙ぎ払って生きてみたい」と願った僕。
そんな名前をつけてしまったからなのか。
薙は弱音を吐かない、弱みを見せられない子に育ってしまった。
薙が寛げる場所が見つかるといい。
そう願ってやまない……
薙が自分を休めることが出来る場所を、しっかりと見つけて欲しい。
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