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いにしえの声 20
新幹線の中で、嫌な汗が背中を滑り落ちていった。
「翠……どこにいる」
何度か通話を試みたが応答はなく、メールへの返事もない。
窓の外はもう真っ暗だ。
未だ風空寺の道昭さんからも、翠が帰宅したという連絡は入らない。
あんなに無理はするなと言ったのに、何かトラブルに巻き込まれたのではと、心配だけが募っていてく。
翠のいる京都への道のりが、まさかこんなに辛いものになるなんて。
京都駅に着いた時点でもう夜の21時近くだった。
早速、風空寺に電話をした。
「道昭さん、兄さんからの連絡はありましたか」
「流くんか……いや、ないんだ。流石におかしいな。翠は夜にはここに戻ってくると言って出掛けたのに」
「宇治に行ったのは確かなんですね」
「あぁ宇治には居た。実は一度昼過ぎに話しているんだ。まだ何も手ごたえがないから、午後もまた聞き込みをしてみると言っていた」
「そうですか、助かります。分かりました。まずはその呉服屋に行ってみます」
「あぁ、そうだな。あそこが一番可能性を持っていそうだ。もう一度聞き込みをするといい」
****
二条城近くの一宮屋。
店じまい後、片づけをしながら、私は昨日のことを思い出していた。
はぁ……本当に絵巻物語のような人たちだった。なんだか興奮して忘れられないわ。
あれは昨日のことよ。黄昏時に店の暖簾を下ろしていると、メモ書きを見ながら歩いて来た二人の男性が店の前で立ち止まったの。
二人共すらりとした体型で、とんでもなく美形なだから、モデルさん?それとも俳優さんっと、つい好奇心でじっと見つめてしまったの。
ひとりは私より年上の落ち着いた雰囲気の男性で、厳かな静かな美しさを持っていた。
もう一人は私と同い年? いやもっと若いのかしら。光源氏が現世に存在したら、こんな人なのではと思うほど眩く、内側からじんわりと美しさが滲み出ていたので驚いてしまった。
だからつい……私は自然と歌を口ずさんでしまったの。
源氏物語から、夕顔の和歌を。
あんな風流なことを、よくも大胆にしたと思うわ。今考えると猛烈に恥ずかしい!
……
心あてに それかとぞ見る 白露の
光添へたる 夕顔の花
※当て推量であの評判のお方=光源氏かとお見受けします。
白露が光を増して一段と美しい夕顔の花のようなお姿ですもの
……
するとその美しい男性ははっとした表情を浮かべた後、憶することもなく、見事に返歌を届けてくれたので驚いたわ。ますます何者って思っったわ。
……
寄りてこそ それかとも見め たそかれに
ほのぼの見つる 花の夕顔
※近寄って見れば誰だかわかるでしょう。それなのに近寄りもせず、夕暮れにぼんやりと見た夕顔の花では誰だかわからないでしょう。
……
そこから話が進むうちに、私の祖母の記憶が必要になったの。
それにより分かったことは、彼らが探している写真の男性が、実は私の曾祖母の初恋の人で、宇治の君と呼ばれていたこと。
結局、今日彼らは宇治に探しに行ったのかしら。
当てもなく? 宇治の山奥は寂しい場所よ。
空き家になってしまった廃屋も多いと聞くのに、大丈夫かしら。
あんな綺麗な二人組で……余計な心配しちゃうわ。
とにかくなんだか心配で胸騒ぎがして、私はもう一度祖母に声を掛けてみた。
「ねぇ、おばあちゃま、他に何かなかった?」
「何の話?」
「昨日の話よ。宇治の君の情報のこと。彼らがあんまり必死だったから、何かお手伝いできないかなって思って」
「あぁそう言えば、あれから思い出したのよ」
「なっ何を?」
思わず身を乗り出してしまった。
「母が亡くなる時にね、どうしても燃やせなかったものがあると、渡されたものがあって」
「それは何?」
「それがねぇ……私が見てよいのか迷って、結局しまったままなの」
「早く言ってよぉ~おばあちゃまったら。ねぇそれは何処にあるの? 今でもあるの?」
「もちろんよ。この呉服屋は建て替えていないから、だいたいのものは無事よ」
「みっ見せて頂戴! 早く!」
「はいはい」
気が急くわ。何か大事にものが出てきそう!
やはり……そこには!
驚くべき情報を得て、私は慌てて外に出た。
昨日来た人たちの連絡先はもらっていた。
右京区の風空寺!
電話なんかじゃ伝わらないわ。
この感動!
何度も開けては閉じた痕跡の残る古びた封筒に入っていたのは……
宇治の住所だった。
正確には荷札。
もうボロボロで今にも破れそうな荷札だったけれども、宇治の住所から北鎌倉宛に送った荷札。
差出人は夕顔となっていた。
あぁそうなのね。
全てが繋がっていく。
伝えなくちゃ!
早くあの人たちに。
深い事情……切羽詰まった事情がありそうだったもの。
宇治で訪ねるべき場所が分かったのよと教えてあげたい。
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