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安志&涼編 『僕の決意』1
「マネージャー、話が違うじゃないですか。正月明けまでオフって聞いていたのに……こんな新年早々仕事だなんて聞いてないです」
「だよなぁ。悪いが今日だけだから、どうか付き合ってくれ。どうしても涼をってことで、断りきれなかったんだよ」
「はぁ……一体どこへ?」
僕にしては珍しく不機嫌になってしまった。
車窓から元旦の夕暮れを見ていると、さっきまでの楽しい時間との別れを告げるようで寂しい気持ちになる。
あぁ……洋兄さんの手伝いをもっとしたかったのに。もっと役に立ちたかったのに。
****
安志さんが出かけてしまった途端に、手持無沙汰になってしまった。そんな僕を、洋兄さんは優しく気遣ってくれた。
「涼、元気出して。さぁ俺たちも手伝いに行こう」
「……うん、ありがとう」
僕は月影寺の奥庭にある茶室へと案内された。ここは洋兄さんの結婚式で来たから、覚えている。どこまでも幸せそうな洋兄さんから、丁寧にお点前を受けた場所だ。
「涼はここを覚えているよね? 新年だから初詣の方に、特別にこの茶室を開放するそうだ」
「そうなの?」
「おっ、美人なお二人さんが来たな。助かるよ! 涼くん……君は中でいいか」
流さんに促された場所は、『水屋』と呼ばれる所だそうだ。
「ここが何をするところか分かるか」
「さぁ僕は茶道の知識がなくて」
「点前や茶事のための準備や片づけをしたりする裏方の場所さ。涼くんには水をつぎ足したり、使用した茶碗や建水や茶筅を清めるのを頼めるか」
なるほど、確かに中には茶道具類を置くための棚が作り付けられ、狭い空間だが清潔に整えられていた。洋兄さんが一度やり方を手本で見せてくれた。
「こんな感じだよ。出来るよな? 涼はここから出たら駄目だぞ。ここなら顔を見られないから安心だ」
「了解! 洋兄さんの役に立って嬉しいよ」
「ふっ、涼はいつも嬉しいことを言ってくれるな。俺も助かっているよ」
洋兄さんが花のように美しい笑顔を浮かべてくれたので、その顔を思わずじっと見つめてしまった。
あれ……やっぱり少し雰囲気が変わった?
以前はそっくりだった洋兄さんと僕の顔が、最近はお互いの雰囲気が変わったようで以前ほど似ていない。その証拠に実際周りからも間違えられることも減った。
二十八歳になった洋兄さんは、もう少年のように華奢で儚いだけではない。
大人の男性としての艶めいた色香が増し、更にしっとりと内から滲み出る美しさを放つようになっていた。
それに比べて僕の方は、何も変わっていないな。
相変わらず十代のままだし、モデルの仕事柄、美容室にもしょっちゅう行かされ、広告のイメージを壊さないように私服も指定され、不自然に身なりが整えられていた。ある意味……人工的だよな。こんなの僕じゃないって思うこともある。
だからなのか……洋兄さんが茶室の表に出ても、誰も『モデルの涼』とは結びつかないようだった。もちろん美しすぎるその顔や仕草に、盛大なため息が漏れているのは伝わってきたけれども。
なんだか少し寂しいな。
でもこうやって洋兄さんを手伝えるのは嬉しい。僕は昔から洋兄さんに褒められるのが大好きだ。喜んでもらえると、とても幸せな気持ちになれるから。
そして物心ついてからほとんどの時をN.Y.で過ごした僕にとって、和風の文化に触れることはとても興味深かった。洋兄さんが次々と洗い物を運んでくるので、夢中で言われた通り茶せんや茶碗を清め続けた。
モデルの仕事でいつも表舞台に立つことに慣れてしまった僕には、裏方の作業が久しぶりで興味深かった。そういえば高校までは目立つことはあえて避け、こんな風に裏方に回ることも多かったな。
ところが……そんな楽しい時があと少しの所で中断されてしまった。
何故かモデル事務所のマネージャーが迎えに来たから。
****
「で、どこへ?」
不機嫌なせいで、ついぶっきらぼうになってしまった。マネージャーだって新年早々、休日返上で働いているのに……僕はまだまだ我が儘な子供だと自己嫌悪してしまう。
「田園調布の社長宅だよ」
「……社長宅って、どこの社長さん?」
「涼がモデルをしている時計の会社だよ。その社長宅の新年のパーティーが18時からあってね。あっ、ごくごく内輪のね……」
「あの、どうして僕が?」
「まぁ……行けば分かるよ」
途端に不安になってしまった。マネージャーやモデル事務所は信用しているが、本当に大丈夫だろうか。
僕は最近油断していた。もっとN.Y.にいる時は周りへの警戒を怠らなかったのに……いやそれは自意識過剰か。
ここは日本だ。敢えてモデルになり世間に顔を晒したお陰で変な輩に狙われなくなった。どこへ行っても僕は注目を浴びるので、逆に変な奴が近づきにくくなったらしい。
それは僕が僕であるために、顔をあげて生きていくために選んだ道だったから後悔はない。
でも、どんなに考えても……僕がいくらその企業の広告モデルをしているからといって、社長宅の内輪のパーティーに新年早々顔を出さなくてはいけない理由が掴めなくて、不安な気持ちは完全に拭えなかった。
「大丈夫だって、涼を怖い目に遭わそうなんて思ってないから。そんな顔しないでよ」
マネージャーは、僕の気持ちを察したようで、必死に励ましてくれた。
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