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正念場 11
「洋くん、食事は?」
「はい、向こうで食べてきました」
「そうか。じゃあ今日は疲れているだろうからもう離れに戻った方がいいよ。何か欲しいものはある? 冷たいアイスやゼリーはどう?」
翠さんはまるで母のようにきめ細やかな気遣いを見せてくれた。そう言えば俺が小さい頃……具合が悪くなると、母も似たようなことを言ってくれたな。
(まぁ……洋、まだお熱が高いわね。可哀想に。洋は私に似て熱を出しやすい体質なのね。ねぇ冷たい林檎ゼリーなら食べられそう? ママも熱を出した時には、ママのママにアイスクリームやゼリーを食べさせてもらって、それなら食べられたのよ)
(ママのママってどういうこと? そんな人いるの? それって『おばあちゃん』って呼ぶ人のこと? ねぇ、どうして僕にはいないの? クラスのみんなは夏休みに遊びに行ったりお年玉もらったりと楽しそうだよ。僕も会いたい)
(それは……)
今思えば、幼心で素直に素朴な疑問をぶつけただけだったが、母にとっては辛いことを聞いてしまった。
「あの……ゼリーがあれば欲しいです」
そんなことを思い出していたら、母が作ってくれた林檎ゼリーの味が懐かしくなってしまった。
「良かった! 実は流が洋くんのためにと林檎ゼリーを作っていてね。どうかな、食べられそう?」
「林檎ゼリーですか」
「そうだよ、嫌い?」
「大好物です!」
****
離れに戻ると、すぐに丈が紅茶を淹れてくれた。温かい湯気に心がホッとする。我が家っていいものだ。
「あれ? これ……いい香りだ。林檎の香り?」
「アップルティーだよ。そうか……洋は林檎が好きだったのか」
「あぁ、以前流さんに聞かれてそう答えたことはあるよ。ほら松本さんが何度か新鮮な林檎を送ってくれたから。信州の林檎をわざわざご実家に手配してくれて」
「あぁ、あの林檎は蜜もあってシャキッとしていて美味しかったな」
「疲れている時も林檎なら口にできる……それは母の影響かも。林檎は母の好物だったから」
「成程……あ……そうだ。傷の具合をもう一度診せてくれ」
「うん? いいよ」
丈が俺を明るいライトの下に連れて行く。そっと傷口を覆っていたガーゼを取り外された。丈の眼光は真剣な医師になっていたので、俺もいささか緊張した。
「うむ……この位なら、わざわざ通わなくても大丈夫だな。消毒は私がしてやるし、抜糸は私の病院で出来るように理由をつけて手配しておくから、洋は暫くここで大人していろ。下手に出歩かれてまた転んだりしたら、ますますこの顔に傷がつくだろう」
「おい? 俺はそんな、むやみやたらに転ばないよ」
「……頬の傷は残りやすいんだ。あまり日光にあてても駄目だ。丁寧に治さないと、頬の傷痕が目立つことになる。洋のこの美しい顔に傷が残るのは嫌なんだ」
珍しく丈が、ストレートに物を言う。
俺は男だし少し位顔に傷があっても別に構わないが、丈には許せないようだ。俺の頬を両手で押さえ真剣な眼差しを向けてくるので、大人しく言うことを聞くことにした。
「分かった。丈の気の済むようにしてくれ。俺もそうしたい」
ふと……また大学のクラスメイトに言われた言葉が蘇ってきた。この前から何度も思い出してしまう。
(洋、お前ってさ、本当に独りよがりな人間だよな。お前の時間を中心に世界が回っているわけじゃないんだよ。協調性なしで最低だな。そこ分かってんのかよ)
分かっているよ。それは自分が一番よく分かっている。でも自分では……どうしようもないんだ。こんな自分が嫌だと思っても、そう簡単に変えられなくて、苦しいんだよ。
思い返せば……受け入れられないことが多い人生だった。それは自分が撒いた種だと分かっているから、そんな時はそっとその人から離れることを繰り返した。
結局……俺はいつも疎外されてしまう。
俺の何が悪くてこうなってしまうのか。人一倍警戒心が強いのがよくないのか、俺が心を開かないのが悪いのか……なぜ? と思うことにも、もう疲れ、ますます心を閉ざす一方だった。
そんな時だ。丈とテラスハウスで同居することになったのは……あれは警戒心もMAXの頃だ。
さっき野菜スープを飲む光景で、丈もそれを思い出したようだが、俺も思い出していた。
よくこんな俺を愛してくれたよな。出会った頃の俺って、最低だったろう?
「洋、またクヨクヨと何を考えている?」
「その……今日も自分勝手なことをしてごめん。結局怪我までして心配かけたろう? 丈に呆れられてしまわないか……心配なんだ」
「あぁ、そんなこと気にしていたのか。結果はともかく、洋が真剣に良かれと思ってしたことだ。自分のために必死になるのと自分勝手とは、私は意味が違うと思っているから安心しろ。人は皆違う生き物だ。考えも行動もそれぞれで、相手の心を100%理解なんて出来るはずもない。だから私はそれを見守ることにしたんだ」
丈の言葉が心に届く。泣けてくる……。
「どうして……そんな」
「正直に言うと、確かに以前は違った。洋が自分勝手な行動をして、また危ない目に遭って……何度言ったら分かるんだと恨んだこともあった。だが最近気付いたのだ。許せないと身体を強張らせて恨んでいるのは、全ての関係を消耗するだけだ。だから洋の気持ちに寄り添って考えてみることにした。仕方なかった、悪気はなかった。それしか知らなかったし、その方法しかその時は出来なかったと……そうやって考え方を変化させ、心を少し緩めてみると、いいものだった。私は寛容でありたいと思っているよ。そうしないと長い年月君とやっていけないだろう?」
丈が寄り添ってくれる。俺の気持ちを汲んでくれる。今まで誰にももらえなかった言葉を贈ってくれた。
「丈……お前は……」
なんと深い心を持っているのか。
俺を……そんなにも深い愛で支えてくれているのか。
そう思うと、感極まってしまう。
「丈は……俺には勿体ない程の寛大な人だ。だが俺も深く……深く愛している──丈しかいない。俺をここまで理解してくれる人は……」
「洋……」
「……丈、愛している」
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