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追憶の由比ヶ浜 6

 由比ヶ浜。  春の太陽を浴びてキラキラと光る海岸には、ゆったりと散歩をし、犬を遊ばせる人がいた。 「気持ちいいですね。皆さん思い思いに楽しんでいるようです」    砂浜が広いので、海は穏やかで高い波はやって来ない。  優しい波が、繰り返し……繰り返しやってくる。  翠さんみたいな穏やかで綺麗な海だな。   「海はいいね。僕は久しぶりだ」  翠さんも足下に寄せては返す波を見つめながら、目を細めた。   「俺は先日流さんに葉山の海を見せてもらいました」 「うん、そういえばあの時、洋くんが拾ってきたシーグラス、ここでも見つけられるかな?」 「どうでしょう? 昼食を食べたら探してみませんか」  翠さんは空を見上げて、何かを確認していた。 「あの? 空に何か?」 「トンビがいる時は気をつけた方がいいよ。食べ物を攫われてしまうからね。昔、僕も被害にあったことがあって……あの時は流が自分のおにぎりを僕にくれて……あの食いしん坊の流がね……ふっ」 「そうなんですね。今日は無事だといいのですが」 「急いで食べてしまおう」 「あ、飲み物! 流さんが水筒を持たせてくれました」 「気が利くね」  出掛けに、流さんに水筒と帽子を渡された。  ……   『洋くん、待てよ。日差しが強いから、これを被って行け」  いつの間にか流さんがキャップを持ってきて、被らされた。 「まるで子供みたいですね」 「似合ってるよ。洋くんは実年齢よりずっと若く見えるから、まだ10代の少年のようだ」 「まさか! 俺はもうすぐ30歳ですよ?」 「はは、まぁ若いのはいいことだ。丈が喜ぶだろう。それから飲み物も持っていけよ。これ、翠の分も頼む」  ずしっと重たい水筒まで渡されてしまった。幼子のように手取り足取り世話をされて恥ずかしくもなるが、もしも俺に兄がいたら、こんな感じだったのだろう。そう思うとありがたくその好意を受け取ることが出来た。  そして遠い昔……似たような体験をした、デジャブを感じていた。 「洋くん、あのさ……翠のこと……今日はどうか頼むよ」  本当は、流さんが一緒に行きたいのでは?    「あの……翠さんを連れ出すのは、本当に俺でいいんですか。由比ヶ浜の家には、流さんも一緒に行きたいのでは? よかったら一緒に行きませんか」 「……翠はこの寺の住職だ。本来ならば、こんな風に突然外出は出来ないが、俺なら仕事を代わってやれるのさ。だから俺は残るよ」 「あ……そうですよね。流さんも立派なお坊さんです」 「それに……君だからだぜ。まずは……翠の苦しみに同じ方向から寄り添って欲しい」 「あ……はい」  やはり、そこなのか。  翠さんの不調は、あの事件が尾を引いているのは一目瞭然だ。  あの事件の発端は、翠さんが高校時代から始まった根が深いものだと聞いている。  長い年月……積もり積もった我慢、執拗な視線に絡め捕られる恐怖。それは俺が中学から大学卒業まで、あの人から浴び続けたものと似ている。そういう意味でも、俺と翠さんは運命共同体のような縁を感じてしまうんだ。 「ごめんな、俺……結局、洋くんに甘えているよな」 「いえ、俺に出来ることがあるのが嬉しいです。あの……今日は俺が行きますが、流さんに来て欲しい時は、すぐに呼びます」 「あぁ出番が来たら知らせて欲しい。丈にも負担かけるな」  隣でやりとりを聞いていた丈が、ふっと笑う。 「流兄さんの事情は察していましたよ。洋……くれぐれも今日は無理しすぎるな。翠兄さんが話したいことを話せる所まででいい。翠兄さんが辿る過去は……かなり体力を消耗するはずだ」 「あぁ、丈。そうするよ」 「洋……翠兄さんのことを、どうか頼む」  今まで見たことがない表情を、丈も浮かべていた。    弟としてのお前の顔、見たかった。俺も丈も人間関係に不器用だが、こうやってストレートに頼られ求められるが、本当に嬉しいよ。  俺も兄弟の一員として頼りにされているのを感じ、心が引き締まった。 「丈、お前の大切な洋くんにも負担かけるな。悪い」 「いえ……流兄さん。私にとっても翠兄さんは大切な人です」  ……  出掛けに繰り広げられた兄弟とのやりとりを思い出し、胸の奥がじんわりと熱くなった。 「洋くん、大丈夫?」 「あ、すみません。もう食べ終わりましたので、シーグラスを探してみましょう」 「そうだね」  さぁ、海岸には何が落ちているか。  ところが……大きな石や小さな石、まだシーグラスになっていないガラス片は結構見つかったが、シーグラスは残念ながら見つからなかった。 「見つからないね。葉山の海に行かないと駄目かな」 「今度流さんとぜひ」 「そうだね。流に頼んでみるよ」 「あ……でも貝殻は沢山落ちていますね。ほら、これなんてピンク色で綺麗ですよ」 「あ……これは、桜貝だね」  淡い桜色の貝は、翠さんの心のようだと思った。 「そういえば海里先生が自慢されていたよ。この海岸の桜貝は綺麗だと。そして桜貝にちなんだ歌を、よくレコードで聞かせてもらったんだよ」 「どんな歌だったのですか」 「あれは……恋人を若くして亡くした切ない歌だった」 翠さんの追憶が、また始まったようだ。 「僕はね……その曲を聴くと……自然と涙が流れ落ちたんだ」 「そうだったのですね」 「先生は、時には人知れず泣く場所も必要だと仰って下さって……だから僕は……ここに……やってきた」    

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