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追憶の由比ヶ浜 44

「ようちゃん、気をつけてね。今日はありがとう」  春馬さんの車で帰って行く祖母を見送ってから、別荘の鍵を閉めた。  さてと俺も帰ろう。  だが、どこへ?  月影寺に真っ直ぐに戻っても、今日は翠さんも流さんもいない。 丈もまだ仕事中だ。  ならば、行こう。  俺から丈を迎えに!  なぁ、丈いいだろう?  俺ね、最近……まるで背中に羽が生えたように気持ちが明るくなっている。  こんな気持ちになるのは、いつぶりだろう。  母のルーツを調べ、祖母と再会出来て……本当に良かった。  地に足がしっかりつくと、心置きなくジャンプ出来るんだな!     車に乗り込みエンジンをかけていると、隣の家の扉が開いた。  あ、やっぱり……誰か住んでいるのか。  興味を持ってバックミラーで様子を窺うと……  中から背の高い男性がゆったりと出てきた。  アッシュブロンドの珍しい色の髪が、春風にふわりと揺れている。  へぇ、よく似た外観に住むお隣さんって……外人だったのか。  思いっきり手を空に伸ばして、青い瞳で由比ヶ浜の海を見つめていた。  雪也さん位の年代だろうか……  逆光でよく見えないが、随分と品のある紳士だな。  何者だろう?  いつかどこかで会ったことがあるような不思議な心地だった。  あ、でも……会ったのは俺ではなく、母さんかもしれない。  何故なら、俺の中の母さんの血が喜んでいるから。  誰か……縁があった人なのか。  俺は車を走らせた。  一路、丈の元へ――  俺、お前に会いたくて溜まらないよ。  駐車場に着いて時計を見ると、丈が出て来るまで、あと1時間もあった。  だが下手に病院内を歩き回らない方がいいだろう。  車の中で、ゆっくりと丈を待つことにした。  いつぶりだろう、丈をこうやって迎えに来るのは……  春の宵――  丈を想いながら待つ時間も、良いものだ。    **** 「兄さん。夕食が来たぞ」 「ありがとう。あっ、でも流はどうする?」 「まぁ後で適当に食べるから、気にするなって」 「そうか、悪いね。僕だけ……」  そこで楽しいことを思いついた。 「兄さん、本当に悪いと思っているのか」 「うん、食いしん坊の流の前で、先に食事をするのは忍びないよ」 「じゃあ、一つだけ願いを叶えてくれるか」  兄さんの箸がぴたりと止まり、怪訝そうに俺を見つめた。 「き……キスは……もう駄目だ」  蚊の鳴くような声……おい、可愛いな! 「そんなことはしない」  安堵した表情……おい、それも可愛いな! 「じゃあ何をする気だ?」 「フフン……俺が食べさせてやる」 「えぇ?」  目を見開いて驚く顔……それもいい! 「りゅ、流……僕は病人じゃないよ。検査入院をしているだけなんだよ? 手を骨折しているわけでも点滴をしているわけでも……」 「だからだよ。食欲はあるんだろ?」 「まぁ、それは……あるが」 「なら、いいじゃないか」 「流? もうっ、言ってることが支離滅裂だよ!」 「あーもう、じれったいな。ほれ、あーん」  翠の箸を奪い取ると、観念したように口を開けてくれた。  そういう所が好きだぜ、翠! 「流は……どうして……僕をこんなに甘やかすんだ?」 「好きだからさ。好きで好きで溜まらないからだ! これでいいか」 「も、もう――」  翠が目元も耳も染め上げてくれる。  袈裟を着て、凜と澄ました翠も好きだ。  ずっと憧れていた気持ちは、未だにある。  幼い頃から秘め続けた気持ちは、ひたすら尊い。  そして今俺の前で口を雛のように開けてくれる翠は、とにかく愛おしい。  俺だけの翠なんだ、この姿は。 「流……そんなに見つめないでくれ。おかしくなりそうだ……」 「良かった。目がよく見えるようだな」 「あ、そう言えば……霞まなくなったよ。流の顔がよく見えるよ」    

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