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追憶の由比ヶ浜 48 

 21時か、そろそろ消灯時間だな。 「兄さん、そろそろ眠ろう」 「え……そう?」  自戒しながら兄さんと呼ぶと、翠は少しだけつまらなそうな顔をした。  そんな顔、すんなよ! 必死に我慢しているんだからさ!    窓際の付き添い用ベッドを組み立てていると、病室に若い看護師がやってきた。 「張矢さん、お休み前の検温です♡」 「はい」 「あら? 弟さんもやっぱりお泊まりですか」 「はい……その……僕が大の病院嫌いで……お恥ずかしいです」 「いいえ、人それぞれですもの、どうか無理のないようにお過ごしくださいね♡」 「はい」 「  ゴシゴシ……  やはり♡が語尾についてねーか! 「何かありましたら、このナースコールで、(我らが白衣の天使を)お呼び出しを♡」 「は……はい」  しかもヘンな心の言葉まで聞こえる始末だ!  しかも待て待て! ナースコールを握らせながら、さり気なく俺の翠に触れただろ~‼ 「では消灯しますね」  俺のことなんてお構いなしに、電灯が消えて真っ暗になった。 「流……もう暗くなってしまったね。じゃあ、お休み」 「あ、あぁ」  そっけないな、翠……。  まぁ……今日、何も出来なかったわけではない。ここは大人しく寝るか。  兄さんはそのまま眠ってしまったようだ。  俺だけ浮かれて馬鹿みたいだ。一緒の部屋に泊まれるだけでも有り難いのに、もっと触たいなんて贅沢なことを考えていた。  しかしなぁ……夜の9時から健康な俺が寝付けるはずもなく、むくりと起きて白い壁にもたれた。 「兄さん……」 「すい……」  もう寝てしまったのか。  俺はこんな夜を知っている。中学、高校と、よく壁にもたれて兄を恋い慕っていた。  夜な夜な……兄を想っていた。  触れたい、触れたい。  抱きしめたい、抱きしめたい。  兄さんの素肌に触れてみたい。その温度を全身で感じてみたい!  どうして実の兄にこのような切ない感情を抱くのか分からなくて、それでも思春期の熱に冒され……幻で兄を抱いてしまった時には唖然とした。  想いに名前が付いた瞬間だった。  愛してる――ことを認めた。  翠は一向に起きる気配がないので、俺も諦めて眠りについた。  それから……どの位寝ただろう?  ふと気配がしたので、薄めを開けると翠が立っていた。  正確には、俺のベッドのカーテンを開いて空を見上げていた。  細面の優美な顔が月明かりに照らされて、ぞくりとする程美しかった。  そのまま天に還ってしまうような恐ろしさに、思わず翠の細い手首を掴んでしまった。 「翠、行くな!」 「ん? おかしなことを言うんだな。僕がどこへ行くと?」 「ああ、すまん」 「流……月が綺麗だね」  翠……真夜中に艶めいた表情で言う台詞は、それか! 参ったな! 「あぁ、もう死んでもいい」 「流……ありがとう。なぁ……一緒に眠りたい」 「え……ここで?」  緩やかに首を振る。  さらりと色素の薄い細い髪が泳ぐ。  左目の下の泣きほくろが、誘っている。   「僕のベッドにおいでよ。一人寝は寂しいから」 「だが……ここは病院で……ここは……」 「くすっ。流がそんなに慎重になるなんて……それじゃあ僕みたいだよ」 「う、五月蠅いな!」  翠は切れ長の麗しい目を細め、口元を綻ばせ……俺を誘う。  常套句で…… 「なぁ、流……駄目か」    出た! 

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