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身も心も 32

 流は僕の着衣を整えた後、「少しクールダウンしてくる」と言って、廊下に出て行った。  クールダウン? それなら僕も必要だ。  病室で僕は何を強請った? 流に何をしてもらった?  思い出せば……とんでもないことを……顔が火照ることばかりしてしまった。 「どうしよう! 身体の内側から沸き起こる気持ちに蓋が出来なくなっているな。ふぅ」  特別室の窓は大きく高い。  手を伸ばせば、天まで届きそうだ。  雲の合間から、あの人の声が聞こえてくるようだ。 「君は今幸せか」 「えぇ、とても満たされています」 「よかったな。僕は生きている間に……ただ一度もそんな風に甘く睦み合えなかったから、羨ましいよ」 「でも……あなた達も……今は天上の世界で結ばれているのですよね」 「ようやくだ……僕たちもやっと幸せになれたんだ」 「じゃあ……お互いに幸せなんですね」 「あぁ、そうだ」  天国の湖翠さんの元に。地上を彷徨っていた流水さんの魂が還っていった。     それを僕と流は、宇治の山荘で見届けたんだ。  あの日から、僕は流との人生を本格的に歩み出した。  あの日から、愛は深まるばかり。  深まれば深まるほど、胸の傷が気になって仕方が無かったんだよ。  一点の曇りもない身体で、流と歩んでいきたくなったんだ。   「思い切って……取ってもらって良かった」  そう確信している。 「これでようやく僕は自由に羽ばたける」 「僕たちが出来なかったことをしておくれ。夏には二人で温泉に行っておいで」 「何故それを?」  この夏、手術の傷が癒えたら流と約束していることだった。 「流水もよくそんなこと強請っていたからね。じゃあ……行くよ。手術成功良かったね。それを伝えたくて」  不思議な対話を終えると、笑い声と共に、僕の二人の弟が部屋に入ってきた。  流の笑い声はよく耳にするが、丈も、そんな風に笑えるんだね。  丈を長い年月抑圧していたのは、僕と流だったのかもしれない。  僕らの煮え切らない、いや煮詰まった関係が暗い影を落としていたのかもしれない。  とにかく……弟二人は立派に成長した。  もう僕が導き、守ってあげなくても大丈夫なのだ。  もう……肩の荷を下ろしてもいい。  ようやく素直にそう思えるようになったよ。  医師としての丈は、その範疇を超えたサービスを僕らに与えてくれた。 「兄さん、じゃあ、今日はゆっくり過ごして下さい。傷が痛むようでしたら呼んで下さい」 「分かった。あの……本当にこの部屋に流が……泊まっても?」 「そうですよ。兄さんのご所望通りに」 「あ、ありがとう……丈」 「私も役に立てて嬉しいのです」    その晩……シャワーを浴びた流が新しい作務衣に着替えて出てきた。 「いつの間に着替えを?」 「こうなればいいと思っていたのさ」 「用意周到だね」 「いつも翠のことばかり考えているからな」 「ふっ」  僕らは見つめ合って、軽く口づけをした。 「傷、痛むだろう?」 「正直……まだ術後2日目だ。痛むことは痛むが、それよりも雲の上にいるようなふわふわした心地なんだ」 「上機嫌だな、翠……」 「そうなんだ、だから、一緒に眠ってくれないか」 「うーん拷問のような、極楽のような誘いだな」 「極楽だよ、流」 「その笑み……参ったな。兄さん」  突然兄さんと呼ばれて、恥ずかしくなった。 「今呼ぶなんて卑怯だ」 「恥ずかしい顔を見たいんだ。そそられる……」 「もう、何を言って!」 「ははっ、何もしないよ。手を繋ごう」 「早く良くなって、お前に抱かれたいよ」 「はぁ……無自覚に煽るな。ギリギリのところなんだ」 「ごめんっ。でも本心だ」 「続きは月影寺に無事に戻ってからだ」  僕らは子供の頃のように手と手と繋いで、横になった。 「兄さん」 「何だい?」 「……翠」 「何?」 「欲張りかもしれないな」 「どうしたの?」  小かった流はもういないのに、今はあの頃のように僕の手を握ってくれている。 「兄さんも翠も手に入れたいんだ。俺をずっと導いて欲しい」 「あぁ、流……心配するな。どこまでも僕たちは一緒だ」   

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