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花を咲かせる風 3
「それ、大変だったね」
歩きながら、薙くんの学ランを指差した。
「あっこれ? 女子に勝手に持って行かれたんだ」
「へぇ、どんな子だった?」
「わかんない」
ちゅっと口を尖らせる様子が、年相応で可愛いかった。
「凄い争奪戦だったんだね」
「そうなんだ。女子って怖いよな。でも一つは父さんのポケットの中にあるんだよ」
薙くんの表情がキラキラと輝いた。
「洋さんは知ってた? 第4ボタンには『家族』の意味があるんだって」
「……家族」
なるほど、だから翠さんにボタンを渡したのか。
翠さんと薙くんの親子関係は、最近更に良くなった。それはとても嬉しいことなのに、少しだけ仲の良い親子を羨ましく思ってしまった。
俺って駄目だな、こんな晴れの日に。
こんな日は、俺も肉親に甘えてみたくなる。だからなのか、ふと白金のおばあさまの姿を思い出した。俺に流れる母の血が呼んでいるのか、求めているのか。
母屋に向かって歩き出すと、突然背後から声をかけられた。
「ようちゃん! 来ちゃった!」
俺をこう呼ぶのは……
「お、おばあさま? と、突然、どうしたんすか」
まさに今、心の中で思い浮かべた人の突然の来訪に驚いてしまった。
「あのね、お彼岸のお墓参りで近くを通ったら、急にあなたの顔を見たくなったの」
俺の顔を見たくなった?
そんな風に言ってもらえるなんて、まだ信じられない。
「どうも、こんにちは、白江さん」
翠さんがたおやかに会釈する。
「こんにちは、翠さん。今日は一段と麗しいですわね。あの、少し洋をお借りしたくて……ようちゃん、いいかしら?」
「あ……はい、もちろん」
高齢の祖母がわざわざ立ち寄ってくれたのだ。
翠さんも流さんも顔を見合わせて、納得してくれたようだ。
「洋くん、気をつけて行くんだよ」
「あの、すみません。猫にご飯を食べさせてくれますか」
「いいぜ、洋くん、楽しんでおいで。その代わり夕食は一緒に食べような」
流さんに肩をポンポンと叩かれた。
本当に、いつも温かい人だ。
「えぇ、ぜひ! 夕食までには戻ります」
俺は猫を流さんに預け身支度を手早く整えて、おばあさまの元に駆け寄った。
車にはお抱えの運転手さんが待機していたので、会釈して乗り込んだ。
「ようちゃん急に来てしまって驚いたでしょう。冬郷家の皆さんは最近忙しくて退屈だったの。だからおばあちゃまの相手を少しだけしてね」
「はい! あの、どこに行きたいですか。どこでも付き合います」
「……そうね……じゃあ、あなたが夕と暮らしていた家を、私に見せてもらえないかしら」
「えっ」
激しく動揺してしまった。
あの家で義父と二人きりで暮らした日々を、祖母に見られるのは辛い。
だが、すぐに目の前が明るく開けた。
そうだ。もうあの家は大丈夫なんだ。丈が義父との思い出が残るものを、全部壊して消し去ってくれたから。
あの日、改装したばかりの部屋で丈に抱かれた。病室のように真っ白な壁紙は淡い水色に染まり、ベッドもリネンも新しいものになっていた。全部俺が好きな海の色で揃えられ、爽やかな空間になっていた。
『太平洋の洋……そんなイメージで改装したよ。ここで洋を抱きたい。怖い記憶は、私達で塗り潰していこう』
あの日際限なく抱かれた熱を思い出して、ぶわっと顔が火照ってしまった。
「あら、ようちゃんのお顔、赤いわよね。お熱かしら?」
祖母の手が、そっと俺の額に触れてくれた。
血の繋がりを感じる指先、その温もりに安堵した。
「俺……本当は……今日は人恋しかったんです。だからおばあさまに会えて嬉しいです」
ちゃんと言えた。俺が寂しかったことも、会いたかったことも。
「まぁ嬉しいわ。ようちゃんは可愛い子ね」
「おばあさまを家に案内します」
「ありがとう。どうしても……夕が過ごした家を元気なうちに見ておきたくて……こんな我が儘を言ってごめんなさいね」
「いえ、俺も久しぶりに母の部屋に行きたくなりました」
母の部屋は、今も当時のまま残してある。
まるで今日という日を待っていたかのように。
女性らしい雰囲気の白いベッドに華奢な白木の鏡台、淡い橙色のリネン類。
母の面影を感じるあの部屋に、今から祖母を案内しよう。
これは俺の意志で選んだ道だ。
もう俺は自由だから、出来ることだ。
あとがき(今日の更新分に対する補足です。不要な方は飛ばして下さい)
****
今日の洋は『家族』のボタンの話から、翠と薙の親子関係を少し羨ましく思ってしまいました。洋が気を抜くとまだ暗い考えになってしまうのは、彼の寂しい生い立ちが影響しています。でも私はそんな洋が人間らしくて好きです。
今までだったら押し殺していた感情でした。寂しいとか会いたいとか……そんなこと望めない境遇にいたので、まだ少ししこりで残っているのです。
洋がもっと人間らしく心から笑えるようになるためのステップを、書いていこうと思います。
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