1414 / 1585

花を咲かせる風 7

 今日は薙の卒業式で夕食時に卒業祝いをするから早めに帰宅してくれと言われていたのに、すっかり遅くなってしまった。  カーブを曲がると、月影寺から出て来た一台の車とすれ違った。  こんな時間に檀家さん? しかも都内のナンバー?  暗くなっていたのではっきりとは確認出来なかったが、どこかで見た車種だ。  逸る気持ちで車を停め、山門に向かった。  洋が、すぐ近くにいる気がして。  洋……?  予想通り、山門に続く階段に洋が立っていた。  相変わらずほっそりとした美しい佇まいだ。  長い手足、カタチのよい頭、細い首。  顔を見なくても、美しい顔をしているのが見て取れる。  以前はあまりに儚げで、この世の不幸を全て背負わされたような哀しさを湛える薄い背中だったが、今は違う。  いつの間にか洋に覆い被さっていた闇は消え、その背中は冴え冴えとした月光に照らされている。  今の洋は、一歩一歩、自分の足で上へ上へと登っている最中なのだ。  私も一緒に歩むから、置いていくなよ。 「洋……」  呼び止めると、少し驚いた顔の後、見たこともない程の明るい笑顔を浮かべてくれたので、私も釣られて微笑んだ。 「離れに戻ろう! 早く!」  洋が待ちきれない様子で、私の手をグイグイと引っ張る。 君が行く場所が、私の歩む道だ。  離れに入るなり、洋の方から背伸びしてキスをしかけてきた。  私の首に手を回して、角度を変え何度も何度も。 「ん……っ、ん……」  私の心も、一気にとろけていく。 「どうした? 今日はいつになく積極的だな」 「それは……丈に触れたかったから」 「そうか……いい事があったようだな」 「そうなんだ。これを見て欲しくて」  リビングのソファに座らされ、洋が嬉しそうに見せてくれたのは、古びた学ランのボタンだった。 「これは?」 「ここを、よく見て欲しい」  手に取って見ると、ボタンの側面に何か書いてある。  Dear You From Shinji 「なんと! これは洋のお父さんから、お母さんへの贈り物か」 「たぶん……今日ね、おばあさまが急にここに立ち寄って下さって、一緒に東京の家に行って来たんだ」 「そうだったのか」  あの家に、君が……自らおばあさまを連れて行けたのか。 「丈がリフォームしてくれたから、大丈夫だった。俺の意志であの家に入り、おばあさまに母の部屋を見せることが出来た。全部、丈のおかげだ」  そうか……洋はあの忌々しい過去を背負う家から、卒業出来たのだ。  どうやら私も、その一役を買うこと出来たようだ。 「あのクマのぬいぐるみを覚えているか」 「あぁ、おばあさまへの手紙が括り付けられていたクマのことか」 「そのクマの手が不自然に縫い付けられているのを、おばあさまが気付いてくれたんだ」 「そうなのか。そこに、これが」 「あぁ、守るように隠されていた」  洋が愛おしげにボタンを握りしめる。 「丈……俺、父さんの遺品は翻訳した本だけだった。だから嬉しくてさ。父さんの生きていた証しみたいじゃないか。これ……!」 「これは、高校の学ランのボタンのようだな」 「父が母と出会ったのは、もっと後なのに……どうして高校のボタンを持っていたのか。母にいつ、どうして贈ったのだろう? あぁ……今の俺は知りたいことばかりだよ!」  洋の顔には、希望が満ち溢れていた。  いつも青ざめていた顔は、今はこんなにも血色が良くなり、頬を桜色に上気させている。 「洋……これはお父さんを探す旅に出ろという合図なのかもしれないな」 「丈……丈も、そう思ってくれるのか」 「あぁ」 「実は……おばあさまにも背中を押されたよ」 「そうなのか。ならば……行こう! 開業してからでは時間が取れない。もうすぐ有給休暇をもらえるから、京都に行ってみないか。洋の父親の足取りを探しに」 「丈……いいのか」  洋……私の洋。    自分の全てを知りたいと願うのは、人として生まれたからには自然なことだ。君の思いのままに羽ばたかせてやりたい。  「丈……俺と一緒に行ってくれるか」 「喜んで」  再び吸い付けられるように、唇を重ねた。  何度も何度も、深く優しく。  お互い舌を絡め求めあって、そのままソファに洋を押し倒した。  キスをしながら洋の素肌の感触を手のひら一杯に味わい、ツンと立ち上がった尖りを見つけ出し、そこを熱心に擦っていると……玄関の扉を忙しなくノックする音が聞こえた。 「おーい、お二人さん、そこにいるのだろう? お取り込み中、申し訳ないが、乾杯に付き合ってくれよ」  声の主は、流兄さんだ。  薙のお祝いをすっかり忘れて、洋をこのまま抱こうとしていたのに、苦笑してしまった。  洋の方も、私に組み敷かれたまま、明るく笑っていた。 「丈、俺たち節操ないよな!」 「洋が誘うからだ」 「違う! 丈が押し倒したからだ! 証拠はこれだ」  洋に、シャツの裾から地肌に触れていた手を掴まれては、逃げも隠れも出来ない。  続いて、流兄さんの困った声が響く。 「おーい、あんまり、ドア越しにあてるなよ! 俺までヤバくなる!」 「くくっ、丈、流さんが可哀想だ。もう行こう!」  洋が起き上がって乱された着衣を整え、肩を揺らして明るく笑う。  その笑顔は、いつもよりずっと明るく輝いていた。  ふと……その先に、まだ見ぬ洋の父親の面影を感じてしまった。  どうやら彼も探して欲しいようだ。  今こそ……洋のルーツを探す旅を始めよう!

ともだちにシェアしよう!