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花を咲かせる風 45
「翠さんのお声は、柔らかく慈悲深いで心地良いですね」
「信一さんこそ、穏やかな大地のようなお声で素晴らしいです」
僕は洋くんの伯父さんと、読経をあげる声をぴたりと揃えた。
月光寺の住職の渋く深い声と月影寺の僕の声が重なると、読経がまるで一つの鎮魂歌のように響き渡り、木漏れ日の落ちる庭に溢れていった。
その様子に鳥肌が立った。
光と影が重なる場所。
そこに何があるのか……
ふと『光陰』という言葉が浮かんだ。
影は光を遮って出来る黒い物で、陰は光が当たらない隠れて見えない所を指すのでニュアンスは少し違うが、その言葉にハッとした。
光陰とは『月日』という意味だ。
僕が住職になるために歩んだ月日。
洋くんが丈と出逢うまでの月日。
そして僕らが今日ここに集うまでの長い月日。
人はいつの世も……時間と共に生きている。
どうやら僕の前世、湖翠さんの長い年月に亘り蓄積された願いも、この流れに束ねられているようだと悟った。
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「夕凪、夕凪……どうして、どうして……こんなになるまで連絡をくれなかったんだ」
「……湖……翠さん……」
夕凪の持病が悪化し病院に入院したという知らせを信二郎さんから受けて、僕は京都まで駆けつけた。
やつれてほっそりとした身体で、白い病床に横たわる夕凪の手を握ってやると……夕凪はうっすらと目を開けて……静かな微笑みを浮かべた。
「湖翠さん……ずっとお会いしたかったです。もう目は……すっかり治りましたか」
「僕のことなどより、夕凪、どうしてこんなことに?」
「あれから……月日が流れていきました。ただ……幸せな月日は俺にとっては儚いものでした。光陰流水《こういんりゅうすい》のごとく過ぎ去ってしまったのです」
「光陰……流水……」
流水という言葉に、今更ながら反応してしまった。
二十年近く行方知れずの、愛しい弟の名だから。
「こ……すいさんは、俺の兄のような人でした。いつか、いつか生まれ変わったら……俺の本当のお兄さんになって……下さいませんか」
「夕凪っ……まだ逝くな。君はまだ40代じゃないか!」
「うっ……光と影が……押し寄せてきます。俺は……その狭間を抜けて……この世を……去ります。こすいさん……ありがとうございます。先に……先にいきます」
「ゆうなぎ……僕の……可愛い弟。いつかまた会える。今度は本当の弟におなり!」
「は……い」
別れは唐突だ。
僕はまた一人大切な人を失ってしまった。
いつか……夕凪、君ともまた出逢う!
心に決めて、僕は僕に残された月日を……歩むしかない。
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「父さん、大丈夫? 読経って大変なんだな。オレにも読経が出来ればいいのに……父さんの片腕になりたいよ」
今まで仏門に何の関心も持たなかった薙の言葉が意外過ぎて、目を見開いてしまった。
「薙……?」
「あ、オレ……変なこといった?」
「ううん、嬉しい言葉だった」
「父さん、あのさ、読経って不思議だな。父さんの声が天に昇っていくように見えたんだ」
「そうか……薙には見えるんだな」
「……父さんの役に立ちたいって……今なら思えるよ」
「ありがとう。これから頼りにしている」
僕が洋くんの兄になれたのは……前世での二人の約束だった。
それを知る旅となった。
旅は間もなく終わる。
つつがなく……終わるようだ。
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※光陰流水『時間が過ぎ去るさまは水の流れと同じ様に速いもの』という意味
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