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花を咲かせる風 44
「ところで……洋くんがそこまで夕凪さんに似ているのは……つまり君のお母様が夕凪さんと瓜二つだったということか」
伯父から母のことを聞かれるのは、想定内だった。
「はい、俺は母親似です。女性のお着物を着た夕凪さんと母は、とてもよく似ていると思いました。父がどうして母に惹かれたのか。全てを投げ打って駆け落ちしたのか……今なら腑に落ちます。よく分かります」
「駆け落ちか……あの冷静だった信二の心が揺さぶられたのだな。それで……お母様はご健在か」
これも想定内だ。
母方の祖母との再会で、味わった。
あの時は、辛いやりとりで、かなりダメージを受けたが……心を砕いて真摯に向き合えば想いが救われることを学んだ。
経験の積み重ねは、心を強くする。
「……母は俺が13歳の時に病気で亡くなりました」
「何だって? じゃあ君はそれからどうやって暮らしていたのだ? あぁ……なんてことだ。ここで初めて後悔したよ」
伯父は母が亡くなったことよりも、むしろ俺がひとりになってしまったのを心配しているようだった。
「色々ありましたが……なんとか生きてきました」
「洋くんは……とても……とても……苦労したんだな」
伯父の双眸から、静かな涙が流れ落ちた。
「その時点で迎えに行ってやりたかった。私と父がいたのに……すまない」
俺にこんな言葉をかけてくれる人が、まだいたなんて。
孤独だった。
誰もいなかった。
怖かった。
痛かった。
辛かった。
死んでしまいたかった。
当時のことは、今、思い出しても……猛烈に辛い。
何度振り返っても……過去は変わらない事実のまま存在するから。
「伯父さん、いろいろありましたが、俺は今、とても幸せです」
背筋を正して息を吐くように告げると、伯父さんも破顔してくれた。
「あぁ私も幸せだ。弟の息子と巡り会えて……ひとりではないんだなと噛みしめている」
伯父が純粋に俺の存在を愛おしく想ってくれるのが、嬉しい。
「……洋くんのお母様のお名前を聞いてもいいか」
「……夕《ゆう》……夕凪さんの夕です」
「そうか、信二は夕さんを深く愛していたのだろうな」
伯父の視線は、中庭に注がれていた。
木漏れ日の降り注ぐ明るい庭。
俺も……一緒に想いを馳せてみた。
……
「夕さん、気をつけて」
「信二さん」
石畳を美しい女性と凜々しい男性が手を繋いで歩いている。
女子は白いワンピースに、白いパラソル。
女性のお腹はふっくらと丸みを帯びている。
「もう臨月だなんて早いな」
「えぇ、この子の名前は……」
「太平洋の洋だ……男の子でも女の子でも洋と名付けよう」
「信二さん、素敵ね。ヨウちゃん、ヨウくん、どちらもいいわね」
「洋という漢字には『広大な様子』『限りなく広がるさま』『満ち溢れるさま』という意味がある。太陽と月、海と大地……この子はとても広い世界を生きることになり、満ち溢れる愛情で包まれるだろう。無事に生まれておくれ」
静かな抱擁。
慈しみ合う二人の願い。
予言めいた願いを、俺は受け継いだ。
……
「花を咲かせるいい風が吹いているな」
伯父の声で一同が窓の外を見ると、夢か幻か……寺の池に蓮の花が次々に咲き出した。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
泥の中から茎を伸ばし、美しい花を咲かせる蓮。
「洋くん……蓮は極楽浄土にふさわしい存在として尊ばれ、善と悪、清浄と不浄が混在する人間社会の中で、悟りの道を求める菩薩道に例えられているのだよ」
すると翠さんが蓮に向かって、手を合わせる。
「蓮華往生ですね。あの……洋くんに関わる故人を偲んで、お経を上げても?」
「宜しくお願いします。月影寺のご住職殿」
「月光寺のご住職も、ご一緒に」
月影寺と月光寺の住職の声が揃う。
光があるから影が出来る
影が出来るのは、光のお陰
人は一人では生きていない。
誰もが誰かの願いの先に、生を受けて、生きている。
俺もそんなひとりだ。
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