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翠雨の後 13
電話を切るなり、家を飛び出した。
事務所から世間が落ち着くまで雲隠れしろと指示されたので、間違った判断じゃない。
明日からの仕事は全てキャンセルになってしまった。
僕の『同性愛疑惑』の波紋は、想像以上に大きかった。
こんな時は、北鎌倉に行きたい。
今の僕が、日本で頼れるのは洋兄さんしかいない。
洋兄さんは心の拠り所だ。
兄さんの傍で羽を休めたい。どうか休ませて――
何だか、すごく疲れてしまったから。
車窓に映る、二回り程大きなサイズのトレーナーで体型を隠し、キャップを目深に被った姿は、幼い頃、船上で出会った洋兄さんと瓜二つだ。
そうか……僕はあの頃の洋兄さんの年齢になったんだ。あの頃の兄さんは誰も頼ることなく一人で耐えていたのに……僕はこれでいいのか。安易に頼っていいのだろうか。
勢いで北鎌倉まで来てしまったが、何と説明しよう。
全てを話したら、余計な心配かけてしまうかも……
どうしよう? このまま行くべきか帰るべきか。
考え事をしながら歩いていたら、見慣れぬ場所に迷い込んでしまった。
「道を間違えたかも……」
来た道を戻ろうと辺りを見渡すと、バスケットゴールのある家が目に飛び込んで来た。庭に設置されたゴールの下には、ご丁寧に使い古したバスケットボールまで置いてあった。
「……Please feel free to use them.」
これ、自由に使っていいのかな?
身体が自然と動き出した。
ボールを持つと、なんとも言えない感情が動き出す。
大学であのままバスケを続けていたらどうなっていたかな?
モデルへの道に進んだのは正しかったの?
僕は人生の選択肢を間違えてしまったのか。
精神統一してボールをシュートしたのに、心はざわざわしたままだ。
「ヘンだな……身体に力が……」
そこに突然月影寺の流さんと翠さんが現れて、一緒にバスケをしてくれた。久しぶりにモデルの涼という肩書きを置いて、思いっきりバスケが出来たので、楽しかったし嬉しかった。
そのまま翠さんと一緒に月影寺に到着すると、洋兄さんが血相を変えて階段を降りてきて、ふわりと抱きしめてくれた。
「……洋兄さん」
「涼、こんなにやせて! ご飯、ちゃんと食べているのか」
久しぶりの肉親の温もりに触れ、ふっと身体の力が抜け落ちた。
「あ、涼……!」
****
「おっと!」
涼を抱きしめると、そのまま崩れ落ちてしまった。
体重がかかってきたので慌てて支えようとすると、流さんが軽々と涼を抱き上げてくれた。
「さっきまで走り回っていたのに、ホッとしたんだろうな」
「流さん、すみません」
「遠慮すんな。この子は洋にとって大切な存在なのだろう」
「はい、涼は……年は離れていますが、俺の双子の弟のようです」
胸を張って言い切ると、翠さんが優しく微笑んでくれた。
「涼くんは心が疲弊しているようだね。少し休ませてあげよう。月影寺は安全で、世間の柵は断ち切ってある!」
翠さんが凜々しく宣言すると、それは言霊になる!
「あ、あの、明日は薙くんの入学式で慌ただしい時に、迷惑をかけて、すみ……」
謝ろうと思ったら制された。
「洋くん、そんな心配は不要だ。それよりも僕たちは違う言葉が欲しいな」
「あ……」
「君の幸せはね、僕たちの幸せに繋がっているんだよ。仏教では『自利利他《じりりた》』と言って自利とは自分の幸せ、利他とは他人の幸せ、つまり自分の幸せは他人の幸せになり、他人の幸せは自分の幸せになると説いている。だから僕たちは『有難う』という言葉で繋がりたいと思っているのだが」
優しい翠さんの説法は、いつだって心地良い。
素直に心に届く、心に響く。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう!」
心からありがとう言える人達と暮らしていける喜びを噛みしめた。
「さぁ、結界の中へ入ろう!」
翠さんは、今はカジュアルな服装なのに、袈裟の袂を大きく揺らして俺たちを導くように見えた。
こんな時の翠さんは、どんな姿でも、一回りも二回りも大きく見える!
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