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翠雨の後 14
「ん……」
目覚めると、見慣れない場所にいた。
いや、僕は……ここを知っている。
深海のような青いシーツ、月光のようなスポットライト、落ち着いた色で揃えられた空間は、洋兄さんと丈さんの離れだ。
寝返りを打つと、馴染みの良い温もりをすぐ傍に感じた。
僕にくっつくいてスヤスヤと眠っているのは、洋兄さんだった。
離れにはカーテンがないので、月が兄さんの美しい横顔を照らしている。月光を浴びた兄さんは、神々しいまでに美しい。
相変わらず綺麗な人だ。
僕とよく似た顔だけど、僕よりもっと深い情緒がある。
そこに長身の人影が伸びてきた。
「起きたのか」
今度は丈さんの登場だ。
「すみません、僕……どうしてここに? お邪魔してすみません」
「邪魔ではない。洋が嬉しそうに添い寝している」
兄さんの寝顔は穏やかで、今、兄さんがどんなにこの人に愛され、幸せに暮らしているのかを物語っていた。
「あの、もう起きます」
すると盛大にお腹が鳴ってしまい、恥ずかしくなった。
「若い証拠だな。よく眠ってスッキリしたか」
「すみません。寝不足でふらついて」
「山門で倒れたと聞いて焦ったが、どうやら寝不足が原因のようだ。さぁ何か作ろう。洋も起してくれ」
「あ、はい!」
丈さんがキッチンに向かったので、洋兄さんの肩を優しく揺すった。
「洋兄さん、起きて」
「ん……まだ眠い」
洋兄さんは、眠そうに僕に抱きついてきた。
僕はぐっすり眠れたのは、洋兄さんが抱きしめてくれていたからだ。
ありがとう、兄さん。
「くすっ、僕はもう起きたよ」
「え!」
洋兄さんが長い睫毛を震わせて、目を開いた。
まるで月夜の湖のような深い瞳の色をしている。
「参ったな。俺まで眠ってしまうなんて、しかも涼に起されるなんて」
「ふふ、可愛い寝顔だったよ」
「え? 涼がそんな台詞言うなんて」
「あの……兄さん……突然来ちゃってごめん」
真顔で言うと、兄さんもスッと真顔になった。
「いや、来てくれて嬉しかった。疲れは取れたか」
「あのさ……もう目にしちゃったよね? あのゴシップ……」
「……あぁ」
「まさか今になってあの日の写真が流出するなんて……」
兄さんがそっと肩に手を当ててくれる。
その温もりが心地良い。
洋兄さんに、このまま一気に吐き出してしまいたい。
でも……
北鎌倉まで来ておきながら迷ったように、また躊躇いが生じてしまう。
「涼、ここは翠さんが張ってくれた結界の中だ。だから何でも吐き出していい。かつての俺がそうしたように……」
あぁ、僕は兄さんのこういう所が好きだ。
「さぁ……」
そのまま背中を撫でられると、我慢していた言葉と想いが溢れてきた。
「僕……あの写真の外人、ビリーと何もなかったわけじゃないんだ。兄さんは覚えている? 正月にお茶席を手伝っていたら事務所に呼ばれて出掛けた日を……あの晩ビリーが僕の家に泊まったんだ」
「あの日か……うん、それで?」
「部屋の中で……ビリーが突然僕を好きだと……む、無理矢理……キスしてきて」
「えっ」
兄さんが苦しげな表情を浮かべる。
「涼、そんなことがあったのか」
「ごめん……今頃……」
「いや、話してくれてありがとう。確か高校の同級生で親身になってくれた人だったよな」
「うん……だから信頼していたのに……急に豹変した……全力で抵抗したのに身動き取れなくて、でもそこまでだ。アイツも分かってくれて、円満に別れたんだ。スクープされたのは別れ際の挨拶だよ」
洋兄さんがふわりと抱きしめてくれる。
「涼、それでも怖かったな」
「うん……でも一番怖いのは……世間の目を怖がる自分自身なんだ」
「どういう意味?」
「ビリーとの同性愛疑惑をマスコミに大々的に報道をされて、事務所はもちろん全否定したよ。もちろん僕もビリーに関しては全否定だ。だけど本当の僕は……安志さんと付き合っている。だから心が苦しくて!」
ここまで一気に話すと、身体の力が抜けてしまった。
「涼、それで悩んでいたのか。安志も心配していたぞ。涼がこの件で思い詰めていないか」
「僕……世間を欺いているようで申し訳なくて居たたまれない」
洋兄さんが切なげな表情で、首を横に振る。
「涼、涼……そんなに自分を責めるな。涼の心を大切にして欲しい。何もかも正直に世間に明かすのが……全てじゃない。誰にだって秘密はある。俺にだって到底言えないことが……」
「でも、自分を偽っているようで」
「涼、涼の気持ちも分かる。でも……俺は涼の心を守ってやりたい」
洋兄さんの真剣な眼差しに、胸を打たれた。
洋兄さんは辛い過去を浄化して生きている人だ。
「兄さん、弱音を吐いてごめん」
「弱音は悪いことじゃないよ。現に涼に頼ってもらえるのは嬉しいし」
「僕、自分のことばかり考えていたね。本当のことは、今は僕達だけが知っていればいいのに……焦って」
そこに丈さんがやってくる。
「二人とも、まずは腹ごしらえをしろ。腹を満たせば心もある程度落ち着くものだ」
「丈、ありがとう」
「今日は涼が来てくれたから、本場のソールズベリー・ステーキにしてみたぞ」
「え! 本当? 好物! こっちじゃなかなか食べられないんだよなぁ」
「涼、やっと笑ったな。おいで、一緒に食べよう」
「うん!」
悩んでも悩んでも解決しない時は、そっと静かに時が過ぎるのを待つ時なのかもしれない。
下手に動いて事態を悪化させたくない。
それは僕と安志さんの、共通の願いだ。
洋兄さんと丈さんと食事をしながら、ふと思った。
肩の力を抜こう。
この寺の中で、僕は守られているのだから。
「ここに来て、よかった」
「来てくれて良かったよ」
優しい返事が返ってくる。
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