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翠雨の後 34

「流~ 僕は親馬鹿かな?」 「ん?」 「薙は、僕が憧れていた物を持っているようだ。だから我が息子なのに颯爽としてカッコいいと……」 「ははっ、嬉しいな!」 「え?」  流が鼻を擦りながら、快活に笑うのは何故だ? 「薙に流れる俺の血を褒めてもらっている気分になるのさ! 朝から有頂天になりそうだ」 「ば、馬鹿っ」 「はは、続きは帰ってからな。体育館はこっちだ」 「あ、うん」  流が僕の前をスタスタと歩く。  通い慣れた校舎だから当たり前だが、先頭を切る背中に見惚れてしまう。  しっかりしろ、翠。  僕は今、薙の父親としてこの場にいるのに……  甘い感情の波が、僕を揺さぶる。  己を律しないと……  そう思うのに、懐かしい過去が僕を呼びに来る。 …… 「あの、張矢流の兄です。遅くなりました」 「あぁ、お兄さんですか。待っていましたよ。まったく今日も派手にやってくれましてね」 「す、すみません」 「まぁ、あそこまであっけらかんとしていると、カッコいいですよ……おっと教師として、今のは失言か」 「いえ、ありがとうございます」  学校からの呼び出しは頻繁だった。    父も母も当時、多忙だったので、お迎えは次第に僕の役目になった。  僕の役目になってから、呼び出し回数が倍になったのは気のせいかな。  今日は職員室ではなく、保健室に通されて驚いた。 「あ、あの、もしかして……弟が誰かに怪我を? 申し訳ありません」 「あぁ、お兄さんの目で確かめて下さい」  心の中では、違うことを考えていた。  流が誰かを無意味に傷つけるはずはない。  だから……怪我をしたのは流かもしれない。  もしも大事な弟に何かあったら、僕が許さない。  そんな意気込みで保健室に飛び込むと、鼻の頭に絆創膏を貼った流が笑っていたので拍子抜けした。 「兄さん! 来てくれたのか」 「流……今度は何をやらかしたの?」 「あー 干物……をちょっと」 「は? ひものって、干物?」 「そ! 登校時に通りすがりのばーさんがくれたから、海岸で焼いてみたら、先生に見つかった」 「えぇ?」  ……まったく呆れてしまうよ。  お前は学校に何をしに?  だが、おかしくて笑ってしまった。 「で、美味しかった?」 「いや、火加減が難しくて真っ黒焦げだ。精進せねば!」 「流は仏門に興味がないくせに、精進は好きだね」 「まぁな」  その晩、流が洗面所の鏡の前で、唸っていた。 「今度はどうしたの?」 「ここ、髪が縮れている」 「ん?」  確かに…… 「きっと干物を焼いた時だね。まったく危なっかしい。でも火傷しなくて良かったよ」  僕がそっと流の黒髪に手を伸ばすと、流が恥ずかしそうな顔をした。    珍しい表情をするんだなと気に留めなかったけど…… 「兄さんね、流の黒髪が好きなんだ」 「す、好き?」 「うん、僕は猫っ毛で明るい色で、袈裟には向かないから憧れるよ。そうだ、この黒髪だったら長髪も良さそうだね。きっと濃紺の作務衣も似合うよ」 「そ、そうか!」 …… 「あぁ、そうか……だからだね」  流が長髪で作務衣を好むようになった理由を見つけてしまったよ。 「翠、何を一人でニマニマしている。ほら、あそこで受付をしないと」 「あ、うん、行ってくる」  流が通った高校にいるからだろうか、忘れていた過去をまた一つ思い出した。  言葉は大切だ。  たった一言が、その人の人生を変えてしまうことがある。  だから慎重にならないと……  でも言葉は惜しまない。  話さないと伝わらないことも多いから。 「流のルーツを探っていたんだ」 「それって、翠への傾倒の歩みか」 「鋭いね。さぁ続きは帰ってからね」  僕は一度深呼吸して、背筋を正して、スッと歩き出した。   ****  翠が歩む道は、どこまでも真っ直ぐだ。  翠が通り過ぎた道は、凪いでいる。  世界に翠しかいないような、穏やかな空気を流れている。 「張矢薙の父親でございます」 「A組になります。こちらの封筒をお持ち下さい」 「ありがとうございます」  すっと一礼。  参列受付をする翠の美しい所作に、周囲の父兄は皆、目を見張り、感嘆の溜息を漏らしていた。 「お、おい! 翠は目立ち過ぎだ!」  

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